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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

現代美術家が演出した斬新なモーツアルト・オペラの世界

モーツァルト『魔笛』

Mozart "Die Zauberflöte (The Magic Flute)"

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新国立劇場オペラの大野和士新芸術監督第1シーズンは、新制作のモーツァルト『魔笛』の開幕いたします。『魔笛』は、モーツァルトが亡くなった1791年までは、ウィーン一般市民が子供から大人まで楽しめるジングシュピール(歌芝居)として作曲された名作で、モーツァルトの宝石のような美しい音楽と幻想的で夢のある脚本により世界中で愛されるオペラです。今回の舞台は、魔笛は2005年モネ劇場で初演以来、世界50数劇場で上演して高い評価を得ている、南アフリカ出身の現代美術家でもあるケンブリッジ演出の舞台でした。





Thehe first season under our new Artistic Director of Opera, ONO Kazushi, kicksoff with a new production of Mozart's much-loved masterpiece Die Zauberflöte.The work is full of familiar tunes including the dazzling, stratospheric ariaof the Queen of the Night, Papageno's jolly Bird-Catcher's aria and the tuneful"Pa-pa-pa-pageno" duet.


Asthe opening production of the season, the New National Theatre, Tokyo presentsSouth African visual artist William KENTRIDGE's celebrated staging which hasenjoyed a huge success around the world including performances at La Monnaie,La Scala and the Aix-en-Provence Festival.  Roland BÖER who conducted KENTRIDGE'sproduction at La Scala will take the baton, and the cast includes notableinternational singers, Mozartian tenor Steve Tamino, baritone Andrè Papagenoand Serbian bass Sava Sarastro alongside top-class Japanese singers.





ーツアルトの偉大さは、現代性、現代にも通用する斬新さだと思います。彼のオペラでは、醜いパパケーノや野卑で下賎なドン・ジョバンニが美しいアリアや愛の二重唱を歌います。彼の音楽の光が及ぶところ、野卑、高尚、凡庸、優秀、無知、有能など関係ない!子の世に生まれて愛を感じる者はみな美しいとモーツアルトの音楽は歌っているようです。 オペラ 『魔笛』で狂言回し役の醜い男?パパゲーノに登場のシーン「おいらは鳥刺し」の美しいアリアや「愛を感じる人は心の清い人」という魅力的な歌を歌わせています。王子タミーノは、タミーナの美しい肖像画に一目ぼれして「なんと美しい絵姿だろう」と美しいアリアを歌います。夜の女王は登場シーンで有名な「おそれず若者よ」のコルトローラのアリアを歌います。ハパゲーノとパミーナの二重唱、第2幕に入って、ザイストロと僧侶たちの問答「シリス、オシリスの神よ」、女王の復讐が燃え上がる「地獄の復讐が我が心に煮えたがる」、ザイストロとタミーノの二重唱「このむ聖なる殿堂には」ザイストロ、タミーノ、パミーナの3人様の思いがこもった三重唱「愛する人よ。もう二度とあなたを見ることができないのですか」は心に強く残ります。一方能天気なパパゲーノは「一人の娘が女房になれば」とお気楽で天真爛漫なアリアを聴かせてくれます。パパゲーナとハパゲーノの二重唱「パ、パ、パ」の他愛のない歌がやさしさに満ちたアンサンブルに発展するのも「魔笛」の魅力です。「魔笛」では主役にも脇役にもアリアや重唱があり、アリアや重唱にも生きる喜びが満ちています。これこそがモーツアルトのオペラの世界を象徴しており、一度その喜びを知ったらもうその虜になってしまう、「いつ見ても楽しく気持ちが明るくなるオペラ」それがモーツアルトのオペラ「魔笛」の魅力なのだと思います。


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今回の現代美術家・ケンブリッジの演出の「魔笛」の舞台でした。 現代美術家・ケンブリッジによると絵画作品の制作とオペラの舞台創作は共通しており、インクや木炭で何かを描くようにオペラの台本と向きあって、大きなテーマ、意味を汲み取って表現していくことになります。闇、暗さということで木炭を使って描くと、大きな白い紙の上に黒の線を引いていくことで、光の上に暗さ、闇が描かれ、これを写真のネガのように反転させると、白の紙というのが黒の背景になり黒の線が白い線として残ります。反転させることによって、光であったものが暗さ、闇になり、闇であったものが光になります。白い大きなこの紙の上に木炭でたくさんの点を打ちそれを反転させると、「夜の女王」とその背景にある星空を出現します。写真的な世界のポジとネガというひとつのテーマが現れ、舞台装置は、カメラの内部自体となります。『魔笛』の場合、夜の女王は、闇、暗さに関連付けられる存在とされ、ザラストロは太陽の神官であり、それに仕えているということで光と結び付けられます。バロック劇場を思わせる美しい額縁に、ケントリッジが描く「動くドローイング」の数々が、黒地に白い線描で映写され、様々なモチーフ、幾何学的な線、鳥や動物たち。動きをもって映し出される映像は手描きの魅力にあふれ、劇的な場面での演出は舞台を強烈に印象付けました。



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オペラ『魔笛』制作に携わったメンバーのうち、作曲者モーツアルト、興行主シカチネーダー、台本制作に関与したフォン・ボルンがフリーメーソンのメンバーで、制作当初はフリーメーソンの啓蒙主義に沿ったコマーシャル・オペラと言われていた時期があることは知られていますが、演出家が欧米のキリスト教徒の場合、キリスト教から邪教と言われるフリーメーソン的要素は明確に取り扱わない傾向の舞台が多いようです。しかし、南アフリカ出身の演出家ケンブリッジは、これも『魔笛』という作品の重要な要素と考えたようで、ザラストロの宮殿の場面では、フリーメーソンの啓蒙主義を色濃く投影していました。 ザラストロのアリア「おお、イシスとオシリスの神よ」では、秘密結社・フリーメーソンのシンボルマークである三角形の中に目がある印が現れ、夜の女王のアリア「地獄の復讐が」では更に煌びやかな光の宇宙が舞台全面に展開されます。パパゲーノが「娘っ子か恋女房」を歌うときには大きなワイングラスにワインが注がれ、タミーノとパミーナの火の試練では燃え立つ炎の、水の試練では激しい洪水の映像が映し出されます。パパゲーノが自殺を試みる場面では絞首台が用意され、パパゲーナの「パ、パ、パ」の二重唱では卵から多くの小鳥が飛び立ちます。最後に試練に打ち勝ったタミーノとパミーナが手を取り合い進む先にはフリーメーソンのシンボルマーク「大きな目」が現れ、パミーナが着ているドレスの裾が突然長くなるのは不気味です。



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タミーノはパパゲーノとパミーナ救出の旅に出、三人の童子が案内役としてザラストロの支配する神聖な森に着きます。 「叡智の神様」 「理性の神殿」 「自然の神殿」 という三つの神殿があり、ザラストロは「叡智の神殿」の支配者であることを知らされます。ザラストロは、パミーナは彼女の幸福の為に、彼女の母である 「夜の女王」 から引き離したことを教えます。 「この二人のよそ者(タミーノとパパゲーノ)を試練の殿堂に導き、そして彼らの顔を覆うのだと」 命令すると、二人の従者が粗布のようなものをタミーノとパパゲーノの頭にかぶせますが、この粗布は徒弟参入儀礼にむかうフリーメーソン志願者のつける目隠しと同じです。 第二幕の冒頭で、ザラストロは、王子タミーノが試練を受けるだけの徳性、即ち、徳性、寡黙、善行を僧侶たちとの問答により宣言します。フリーメーソンのロッジでは現代でもこれと全く同じ問答が、参入儀礼として行われています。



フリーメイソンの思想は「反宇宙的二元論」で、この世界に悪がはびこる理由は、創造主である神(キリスト教の神)が、実は創造に失敗した無能な神であり、混乱や無秩序はその神によって必然的に引き起こされた。しかし宇宙にはその神を遥かに超える至高的存在があり、人間が「叡智」を通してそこに至ることにより、破滅に瀕した宇宙を修復していくことが出来るようになるというのです。その至高的存在こそが、創世記に登場する蛇であり、神によってエデンの園に拘束されていたアダムとエバを解放し自由の身にしたものの、キリスト教徒によって誤解され、悪魔呼ばわりされている、ルーシファーだとします。つまり創造主、神とルーシファーの善悪関係が完全にひっくり返っているのが彼等の主張であることがわかります。この思想は「グノーシス」(Gnosis、英語の発音は「ノーシス」)とも呼ばれ、フリーメイソンのシンボルである、コンパスと定規の中にある「G」はそれを示しているともいわれています。フリーメイソンの思想がオペラ『魔笛』の物語の中に見事に反映されていることに気付かされます。これは創世記の失楽園の物語の、グノーシス的解釈を基にしていると説明できます。



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「邪悪な悪魔、ザラストロ」とは、ユダヤキリスト教徒によって悪魔視されてきたルーシファーで、彼に連れ去られたパミーナは、ルーシファーの誘惑に堕ちたエバ、彼女の母「夜の女王」は、女性格に捻じ曲げられた創造主を、パミーナを救い出そうとしたタミーノはアダムを象徴するという見方ができます。 ここまで見ていくと、今回の『魔笛』の演出は、ケンブリッジの演出は、光を見事に使った絢爛豪華な「夜の女王」の世界の演出と、まったく違った美学で観客に立体映像のように迫ってくる迫力ある「ザラストロ」の世界の演出との演出の力対決 の様相を帯びていることが感じ取れます。今まで何度か『魔笛』を観てきましたが、大変斬新で面白いと感ずると同時に、大変眼や体力を疲弊させる演出だと感じたのは、この辺に原因があったのではないかと考えられます。



ケントリッジは、フリーメイソンに関わる様々なモチーフ、幾何学的な線、鳥や動物たち。動きをもって映し出される映像は手描きの魅力が一杯で、この美術演出『魔笛』の持つ深い意味に呼応しているように感じました。時代は19世紀末に設定され、暗箱カメラを通して覗いた世界でされます。18世紀に書かれたエジプトを思わせるおとぎ話が、19世紀のアフリカ探検と植民地化の時代に投影されます。しかし、ザラストロが歌うときには野生動物の動画などが舞台奥に映写され、自然と文明の共存の雰囲気に揺り戻されます。南アフリカ出身でヨハネスブルクに住みつづけて活動をしてきたケントリッジならではの『魔笛』の読み解きが見事に表現されていました。



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今回のユニークなケントリッジの『魔笛』の演出に対しては賛否両論あると思います。斬新で豊かなイメージと造形の美しさは新鮮だと思いますが、斬新な「動くドローイング」や豊かな造形イメージなど音楽以上に多くの情報が観客を翻弄し、主役であるはずのモーツアルトの美しい音楽の魅力を差し置いて、演出が舞台の主役の座を奪ってしまってしまった印象も拭えません。例えば、ヒロインが主役のラブストーリーで、相手役男優の演技のインパクト強すぎで、ヒロインの演技が食ってしまったようなどラマのようなイメージでした。



フリーメイソンに関わる様々なモチーフ、幾何学的な線などを演出に加えていますが、たとえモーツアルトがフリーメーソンの啓蒙主義に傾倒していたとしても、彼が音楽やオペラを用いて思想的主張を行う人物とは思えません。難しいことは忘れて音楽に没頭して、たくさんの美しい音楽を世界に残してきたのがモーツアルトだと思います。 オペラ『魔笛』を制作したモーツアルトの意図に反して、このオペラの演出にフリーメーソンの啓蒙主義を持ち込んだとしたら、それは演出家の越権行為だと思います。この演出が、楽しさと喜びいっぱいだったはずのオペラ『魔笛』のモーツアルトらしさを多少でも犠牲にして、重たく疲れる舞台にしてしまったという見方はありうると思います。少なくても私は、オペラの感想にこんなに多くの演出の記述を割いてしまった経験は初めてです。オペラの主役は、やはり音楽であるべきだと思います。




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音楽に関しては、ザラストロのサヴァ・ヴェミッチが、知的で、抑制された強い響きの重量感と深みのある歌唱で、強い存在感を示していました。タミーノのスティーヴ・ダヴィスリムも、伸びやかに力のある歌唱は良かったと思いましたが、それ以上にパパゲーノのアンドレ・シュエンは、軽妙に軽やかに歌っていましたが、タミーノよりむしろ重みがありました。身長も含めて醜いはずのパパゲーノにハンサムで魅力的なアンドレ・シュエンを起用し、タミーノが貧相に見えるようになってしまったのは、演出家の意図でしょうか。



夜の女王の安井陽子さんは、いつもながらコロラトゥーラの技巧も見事で魅力的でした。第2幕の「復讐の心は地獄の様に胸に燃え」の場面では、満面の夜空を背景に夜の宇宙を背負ったような演出の効果も加わり、迫力ある舞台を完全に仕切っていました。パミーナの林正子さんは、適度の清涼の美しい声で、ピアニッシモなどもしっとりとした心に染みる歌唱でよかったと思いました。パパゲーナの九嶋香奈枝さんも、パパゲーノとの「パ、パ、パ」の二重唱を始めとても魅力的でした。ローラント・ベーア指揮、東京フィルの演奏は安定した響きで、チェンバロの代わりにピアノを使ったのも新鮮でした。合唱もいつもながら高水準で、音楽的には充分満足できる舞台でした。ただ、金属の薄い板を震わせる音は強すぎてモーツアルトらしさという点では違和感を感じました。





ところで、余計なお世話かもしれませんが、パミーナが母親の「夜の女王」から引き離され、ザイストロが厳しい試験で選んだタミーノと結婚し、ザイストロの宮殿で暮らすことになったのは、本当にハッピーエンドなのか疑問が残りました。パミーナが着ているドレスの裾が突然長くなる不気味な演出は何が言いたかったのでしょうか。



1791『魔笛』の時代背景は、啓蒙主義の時代の中で最も未来が明るく見えた時だったのです。ザラストロは、絶対的な地位、要するに完全無欠な知を持つという存在でもあり、同時に絶対的な権力をも彼は備えています。モーツァルトの視点からいいますと、素晴らしい人物、素晴らしい存在ということになります。ですが、その後の時代の中で歴史を振り返りますと、このようにザラストロについてすべてを良い方向に捉えるということは不可能だ、ということを私たちは思い知らされます。 『魔笛』初演から23年後、まさにザラストロに例えられるような存在が、フランス革命の時のロベスピエールとして現れます。さらに新しい哲学と経済学をひとりで構築した天才・マルクスの理論に基づいて、世界各国で共産主義国家が設立されますが、理想主義者のマルクスは権力の腐敗、人間の我欲と利己主義の蔓延を予測できませんでした。マルクス主義経済はグローバル化した経済に淘汰されて新自由主義経済に基づいたフリーメイソン的な支配がとってかわります。世界的に民主主義の後退の危機の兆候が現れ、救世主やザイストロを装ったフリーメイソン的な支配を煽るポピュラリスト的な政治家も出現しています。



フリーメイソンが支配する社会については、ドストエフスキーの名作『カラマーゾフの兄弟』の中で、ローマ教会のエリート主義を描いたとして有名な「大審問官」の章の中にフリーメイソンについて書いています。「大審問官」の章では二男のイワンが、三男のアリョーシャに向かって自らの作った話を元に語りかけます。 19世紀から現代まで続く自由民主制を管理してきたフリーメーソン最上層部・ユダヤ系国際銀行権力のことを指摘した内容で、19世紀の段階でドストエフスキーはユダヤ・フリーメーソン問題や共産主義社会の可能性に気づいていました。小説『カラマーゾフの兄弟』では、フリーメイソン論者のイワンの理論は破綻し、未来は博愛主義者のアリョーシャに委ねられます。 人間は野に咲く花のように、自然に生かされた自由な存在で、フリーメイソン的な支配の社会の中では、人間の本当に幸せになれないというのが私の持論ですが、現在も色々な形で、フリーメイソン的な支配を目指す動きは存在するようです。




参考文献

オペラ 『魔笛』公演プログラム 2018

音楽之友社編 スタンダードオペラ鑑賞ブック ⑶ ドイツオペラ 上 1998

ジャック・シャイエ, 高橋英郎, 藤井康生 () 「魔笛―秘教オペラ」 1976

金子一也「オペラ 魔笛のことが語れる本 モーツァルトとフリーメイソン」

明日香出版社 2004

北原, 博 「モーツァルト『魔笛』と18世紀フリーメイソンの古代密儀イメージ」

北海学園大学学園論集(147): 2011

ドストエフスキー / 中山省三郎訳『カラマーゾフの兄弟』 角川文庫






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by desire_san | 2018-10-19 12:25 | オペラ | Trackback | Comments(9)
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Commented by Corne_23 at 2018-10-21 03:06 x
子んにちは。 いつも内容の深いブログの記事をよませていただきありがとうございます。
今回の「魔笛」派手な演出に目が行きがちですが、オーケストラでもいろいろ面白い工夫をしていました。金属の薄い大きな板のを震わせて雷の音を再現したり、水の流れや炎なども少し原始的な道具を用いて、レトロな方法で作り出していました。オーケストラ右奥のパーカッションが良く見え、音を作り出しているのも良い効果を出していて、細部まできをくばった魅力あるえんそうだったと思います。
Commented by desire_san at 2018-10-21 03:15
Corne_23さん、コメントありがとうございます。

音楽を丁寧に聴いておられるのに感服いたしました。
パーカッションが良い効果を出しているのは私もむすばらしいと負いましたむ。 水の流れや炎などの音の表現はおもしろいと思っていましたが、原始的な道具を用いて、レトロな方法で音をつくりだしているのれは初めて知りました。 貴重なコメントありがとうございました。

Commented by frank_558 at 2018-10-22 09:41 x
dezireさん、
かなり力を入れて書かれたブログ拝見しました。
あれだけの内容を書くには相当の時間と労力がいるはずです。
それだけに内容が充実していますね。
これからもよろしくお願いいたします
Commented by totochoco at 2018-10-22 22:24
金色の板の音で落雷・雷鳴の凄さを感じました。
 チョークで描かれては消えてゆく光の線・数式・月・太陽・天体・鳥・メトロノームのアニメーション?が素晴らしかったです。夜の女王のアリアでは遠近法の星空?に吸い込まれそうでした。
 1幕・タミーノの笛の音で喜んで踊るサイが、2幕・ザラストロの「この神聖な殿堂の中では」サイ狩りで捕らえられてしまう映像が印象的でした。

 ピアノの音色も心にすっと入ってきました。
 「魔笛」はタミーノのアリア・ザラストロのアリアなど好きな曲がいくつもあるので、一番好きな歌劇です。 
Commented by desire_san at 2018-10-23 09:23
totochocoさん、コメントありがとうございます。

ご指摘のように、 美術家としても高く評価されている人の演出だけあって、夜の女王のアリアでは遠近法の星空、消えてゆく光の線など美しさでも魅力のある演出でしたね。
ご指摘をいただいて改めて気が付いたのですが、ピアノの音色は極めて効果的でしたね。

何と言っても、モーツアルトの音楽は最高ですね。


Commented by 失われたアウラを求めて at 2018-10-25 10:49 x
ご無沙汰しています。時折、山岳写真や美術館の記事を拝見させて頂いております。『魔笛』の記事もいつものようにかなりな力作で興味深く読ませていただきました。演出面や音楽面からと鑑賞の仕方も多く、一度鑑賞した程度ではなかなか作品のもつ「多義性」なども理解しにくく、ブログを読ませて頂いたらまた鑑賞したくもなりました。
Commented by desire_san at 2018-10-25 17:14
失われたアウラを求めてさん コメントありがとうございます。

今回の『魔笛』の演出は、いろいろな見方ががあり、色々な意見があるかのようです。
ただ、演出が凝りすぎていて、あまりそちらに気を取られすぎると肝心のモーツアルトのオペラ音楽を楽しむことが不完全燃焼に終わっては元も子もないと考えたり、 と全幕を見終わって大変疲れました。

          
Commented by snowdrop-nara at 2018-11-06 08:00
こんにちは。
傑作だからこそ様々な時代の様々な演出を受け入れる懐の深さがあるのでしょうね。
ザラストロの世界はエジプトのイメージを重ねて見てしまいます。
FMの音だけでオペラを鑑賞していた時期を思い出しました。
今ではオペラはCDよりもDVDが主流でしょうか。

拙連載はようやく登山の記事にたどり着きました。
今回か前回の分を覗いてくださると幸いです。
大雅にはモネのような絵もあります。またいずれご紹介します。
Commented by desire_san at 2018-11-06 20:00
snowdrop-naraさん コメントありがとうございます。

モーツアルトのオペラでも最も軽い気持ちで楽しめる作品だと思っていた『魔笛』にこの様な演出ができるとは思えませんでした。

snowdrop-naraさんのブログも早速ご訪問させて頂きます。