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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

フェルメールの絵画の変革・フェルメールのどこが凄いのか?

フェルメールの芸術


Vermeer “ The Milkmaid “



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上野の森美術館で、フェルメールの絵画が過去最大の8作品が来日し「フェルメール展」が開催されました。2月16日(土)から、会場を大阪市立美術館に移して、西日本では過去最大規模のフェルメール展となります。同時代のオランダの画家たちの作品の作品が一緒に展示されています。大阪と東京のフェルメール展を総括して、これからご覧になる方や既に見た方のために、フェルメール絵画の本質と、「とこが凄いのか」を分かりやすくレポート致します。





オランダで風俗画化が発展した背景

現在のオランダ、ベルギーなどを含むネーデルラントはハプスブルク家の領地でしたが、ハプスブルク家がオーストリアとスペイン=ハプスブルク家に分離してからスペイン領とされ、南部のフランドル地方は毛織物工業の発達から商工業が栄えましたが、利益は本国のスペインに抑えられていました。それに加え、ネーデルラントの新教徒に対して、フェリペ2世のスペインがカトリック信仰を強要したことから、1568年に反乱が始まり1581年には北部ネーデルラント7州が独立しました。その後ドイツで起こった三十年戦争(1618~48年)ではスペインが旧教徒を支援、オランダは新教徒を支援し、最終的に三十年戦争のウェストファリア条約でネーデルラント連邦共和国として独立が国際的に承認されました。1568年から数えると80年間にわたって戦われたので、八十年戦争とも言われています。


ヨーロッパは、王権神授で王権は神から受け取って正当性を主張してきましたが、17世紀のオランダはスペインから独立を勝ち取り、市民による共和国を築きました。オランダが海運国家として隆盛を極め、王や皇帝という伝統的な権威を持たないプロテスタントの国として独立したオランダ市民は、新たに自らの正当性を世に訴えていく必要がありました。海運には天文学や地理学の知識が必要なため自然科学が発達し、自然を観察するためにカメラや顕微鏡などの光学技術も発展しました。


オランダの現実を積極的に評価し、新たな価値観を広めるために、市民を主人公にした絵画は、新国家の理想が最も先鋭化した形で表現し国家のイメージ戦略もあり、風俗画も発展しました。光を活かして、市井の人々や事物の美を描出したフェルメールは、黄金時代と呼ばれる17世紀のオランダで絵画の力を発揮し、その柔らかな光力はいまも人々を魅了しています。



フェルメールの絵画の特徴

フェルメールは、写実的で正確な克明に描く描写ではなく、形を単純化しリアルに見えるように、柔軟にカメラのさまざまな見え方を研究し、芸術は現実をうまく使って現実から離れても現実らしい虚構をつくり出すことに腐心しました。わずかな音によって生活を感じさせるような絵画を描きました。


フェルメールは全く独自の美の世界を開拓するというタイプの画家ではありませんでした。同時代の画家の既存の技法、構図などから学び、これを磨き上げて一層高い境地に至ることに優れた才能を示した画家でした。例えばフェルメールはデ・ホーホから清楚な部屋の片隅にテーブルを囲む男女、部屋に広がる光、背後の壁にかかる絵画や地図といった構図の箱型の風俗画の描き方を学びました。フェルメールの他の画家から面白いと思ったものは吸収する力は特筆に値します。フェルメールの作品には貪欲な模倣の精神とそれを磨き上げる豊かな創造的エネルギーがあふれています。先輩画家の面白いと思ったものを吸収し磨きあげ、そこから新たな美学を構築する、フェルメールは並外れた才能を発揮してそれを成し遂げました。


1650年代の作品は、厚塗り、赤、黄のフェルメールは画面の要素を極限まで削り、人物の仕種、表情を極力抑制し、画面に絵画的美意識以外の余計な意味を持たせ、光が凝集して強い光の明部を眩いほど輝かせ、暗部は暗い闇に沈ませ根表現をしていました。




『マルタとマリアの家のキリスト』 1654-1656

スコットランド・ナショナル・ギャラリー



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現存するフェルメール作品の中で、最も大きく、最も初期の絵画のひとつ。フェルメールの唯一の聖書の主題の知られている作品です。聖ルカの福音書は、キリストの姉妹の家への訪問について語っています。マリアが座って話をじっと聞いている一方で、マルタはキリストに食べ物を勧めています。キリストはマリアを褒め、マルタに話を聞くように諭そうとしています。特大の絵画の大きさに加えて、灰色の背景はフェルメールの通常のものとは異なります。彼の絵画の多くは明るく照らされた空間、影と光の強い遊び、人物像の描写、強烈な光と影の戯れ、顔の特徴付け、幅広で厚く絵の具をのせた筆さばきと広々とした色の入れ方は、カラヴァッジョの影響を受けたカラヴァッジョ派の1つ、ユトレヒト派の画家から影響を受けたものと考えられ、フェルメール独自の作風とは一線を画していいます。



2008年来日した1655-1656年頃の同年代の作品『ディアナとニンフたち』では、ギリシャ神話の女神アルテミスと同一視されるローマ神話の女神ディアナと、侍女である4人のニンフを粛然とした雰囲気で描いています。画面中心に描かれた女性の足を洗っているニンフは、当時のオランダで着用されていた衣服を身に纏っているおり、「女性の個人的な私生活の一瞬と複雑な欲望とを描きだすというフェルメールの作品テーマに初期から取り組んでいたことを示し、女性とその侍女が身づくろいをしているような静謐な印象を与えます。このような、女性の静謐な個人的な瞬間を切り取ったように見える作風は、女性の私生活を共感の眼を持って表現しており、フェルメールの作品固有の優しさと誠実さにより優れています。光と色あいを観察する能力が秀でていたこと感じさせます。




『取り持ち女』1656年 アルテ・マイスター絵画館(ドイツ、ドレスデン)


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初期の作品ですが、それまで宗教画、物語画に取り組んでいたフェルメールがはじめて描いた風俗画です。左から2番目の人物が「取り持ち女」、「やり手婆」とも言い、売春婦と客との仲立ちをする女性、その右にはワイングラスを手にした売春婦と金貨を手にした客がいます。彼女を明るく照らす光、表情や手の動きなど、フェルメールらしい表現の萌芽がみられます。若き頃の作品であるため、本来奥行きのある作品ですが空間の整理が出来ておらず、人間味溢れる一人の人間であったようです。




オランダ黄金時代を象徴する絵画への変革

1950年代の『窓辺で手紙を読む女』ではカーテンを用い『牛乳を注ぐ女』では机を変形させたりして透視法の原理と実際の視覚の印象を融合させようと苦心し、オランダの新たな価値観を象徴する風俗画を構築しました。





『牛乳を注ぐ女』1658 - 1660年頃 アムステルダム国立美術館




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フェルメールの最高傑作のひとつと言える作品です。柔らかな日差しが射し込む部屋で、窓から射し込む光を受けながら、若くたくましい女性が器に丁寧に牛乳を注いでいます。牛乳を注ぐという何気ない光景を描いた作品だけのですが、フェルメールの女性に対する暖かな眼差しを感じます。緻密に描かれた壁に打ち込まれた壁の釘穴と小さな釘の影、窓ガラスが割れて光がもれ、色合いの違いで絶妙に表現し、ひとつひとつの細やかな描写にも美しさがあり、モチーフ、明暗、遠近、色調、構図、空間、質感と見どころは尽きない『牛乳を注ぐ女』は、白、黄、青、緑、赤、茶、黒など多彩な色彩が絶妙に落ち着いた共和と安らぎを感じさせルナ間で、鮮やかなフェルメール・ブルーと呼ばれる青はが、補色の黄色と主調しあい女性に華やかさを与えています。鉢の影に青を使うなど影にも色を付けて絵画全体に透明感と明るさを感じさせます。水差し口配した黒のコントラストで白い牛乳の質感を際立たせています。差しを持つ女の右手の少し上に消失点を設定し、窓枠の延長線が交わる点など、キャンバスに糸を張り放射線状の印を付け、それに応じて窓枠や桟などが描かれたようです。黄色い革製生地のごわごわとした胴着、壁に掛けられた編み細工の四角い籠、光沢のある金属製の容器、漆喰壁のテクスチャーなど、質感までが巧みに描かれています。全体の落ち着いた色調や、窓から入る穏やかな光に映える色彩、デルフト焼きのタイル、折り畳み式の八角形の片方を畳んだいびつな六角形のテーブル、壁には釘を刺した痕が残り、窓のガラスは割れて冷たい外気が入り、すべてのものが光をまとい生命力を宿しています。テーブルのパンやパン籠は、光の当たった表面部分に点綴技法を効果的に用い、パンの質感を巧みに表現しています。


柔らかく澄んだ光が射し込む静かな土間の台所で、慎ましく労働する健康的な「牛乳を注ぐ女」が圧倒的な存在感を放ちます。この絵に描かれている「ミルクメイド」は崇高な生命力とすべてを包み込むような慈愛にあふれ、彼女は平面の上に信じがたい立体感をもって描かれていて、人種を超えたすべての人間の母親であるかのようさえ感じます。清潔で堅実な市民生活の美徳を表現していて、プロテスタントの国として独立したオランダの新たな価値観を象徴する記念碑的な作品と見ることもできます。


白い壁であるがこの白さは、プロテスタント化された教会の空間を暗示しているという見方もあります。白はネーデルラント各地で、反カトリックの動乱聖像破壊運動が勃発し、教会の宗教画などを破壊した後、教会の堂内を塗った白色とつながるそうです。青は伝統的にも聖母子の絵に使われる色で、「牛乳を注ぐ女」の青いスカートを纏った女性は聖なる空間にいる聖なるオランダの女性というイメージでとらえることもできます。キリストの血と肉を読み替え、パンとぶどう酒のところを白い牛乳に変えて、風俗画に転化したのかもしれません。


東洋の陶磁器の絵は白と青の組み合わせで絵画的に表現しています。背景に白を使ったのは陶磁器から発想を得ていたのかも知れません。牛乳を注いでいる緩やかな運動を白で印象深く表現しています。東洋の陶磁器の色に今までなかった白が混ざり合う新しい美意識であり東洋の感覚を感じさせます。フェルメールは青の用い方非常に上手なので、白で表現された牛乳の緩やかな動きが生々しく美しく生えています。




フェルメールは、1650年代の貪欲な模倣が同化し昇華して、1660年に入り益々独自性を発展させて、一層深みのある世界を展開していきます。風俗画はさり気ない日常を描いているのですが、光は同化しながら輝き、色彩は青と黄色が主体となり、快適な涼しさ感じさせます。透視法の消失点の位置など計算され構成された空間は、近景を主体に自然に奥行を意識させます。フェルメールの絵画空間の静粛な雰囲気と驚くほど高い完成度に貫かれた情景に生まれ変わっていきます。人と家具など数少ないモチーフの部屋に見る人が自然に誘い込まれ、描かれた人物と一緒に静粛なひと時を心ゆくまで共有したような気分にさせます。



『レ―スを編む女』、『真珠の首飾りの少女』『真珠の耳飾りの少女』『手紙を書く少女』などフェルメールの代表作品の多くは1660年代に描かれた作品です。これらフェルメールの傑作は、ピエロ・デラ・フランチェスカのような静粛な雰囲気と、モンドリアンの抽象画のような厳しさに貫かれた絵画空間に共鳴する不思議さを感じます。



1960年代になると一部分しか描かず、位置があいまいになったモチーフを巧みに配置して、透視法が支配する空間と実際の視覚の印象にゆだねられた「超前景」を巧みに分離し、構図の不自然さを解消させました。近景と遠景の共存が難しいと感じたフェルメールは、遠景を描くことを断念し、透視法の枠にとらわれない「超前景」を前景のさらに前に重ねて、近景に深々とした奥行きを与え、奥行きのある造形美を作り出しました。前景は深いスペースを占め、「超前景」を導入することによって、透視法的見た目の歪みは感じさせなくなります。「超前景」に置かれたモチーフにより、視点と画面の隔たりを中和させ、画面の向こうに展開する空間に深みを与える効果を生み出していきます。



フェルメールは透視法に習熟するにつれて、消失点を低めに、画面から視点の距離を大きめに取り、視野角を狭める方向に進みました。実際より小さく感じられるようになりますが、フェルメールの空間は緻密な計算により構成された人工的空間であり、自然や事物をありのままに描こうとする写実主義のリアリズムとは別の世界なのです。




『リュートを調弦する女』 1662-63頃 メトロポリタン美術館蔵



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薄暗い室内に一人腰掛ける女性はリュートを抱え、弦をかき鳴らす。左手でペグをつまみ、音階を整えています。遠く窓の方に視線を向ける様子は見る者の想像力をかき立てます。窓越しに何かを見つめているのか、それとも耳を澄まし、音を追うことに注力しているのか。机の上には楽譜が重なるように置かれ、壁には、愛する人が遠い彼方にいることを示唆する地図が描き込まれています。前景でのテーブルとシルエットの椅子の配置、カーテンの使用、影のより大きな役割、ぼやけた輪郭の強い対比、影の広いブレンド領域を効果的に使用しています。初期のカメラ掩蔽で形成された画像の影響が見られます。





『真珠の首飾りの女』 1662-65頃 ベルリン国立美術館蔵




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 小さな作品ですがフェルメールの技法が詰め込まれた作品です。部屋の中に立っているひとりの少女は高価な衣服を身にまとった裕福な中流階級の娘少女と思われ、横顔の若い女性がステンドグラスの窓の横の小さな鏡で自分を見ています。明るい日光が窓を通って流れ、狭いカーテンと部屋を金色の光で浴び、女性の顔と胴体を照らします。身支度の仕上げに真珠の首飾りを真っ直ぐにしようと両端を手で持ち上げ、心をときめかせている表情が印象的です。純潔の少女の初恋でしょうか。真珠も耳も影があり真珠の輝きを際立たせています。少女の眼の瞳に白を加えることで、少女に見つめられているような、絵からこちらに問いかけてくるようでもあり、見る人を絵の中にひきこんでいきます。寓意的にみると、謙虚さを社会規範は美徳としますが、自己愛の影響でもあり、真珠の首飾りは女性の虚栄心の象徴と見ることもできます。





『ワイングラス』166162頃)ベルリン国立美術館



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一点透視法で完璧な遠近法で生活の一瞬を切り取ったように描かれていて、覗いてしまったような感覚に襲われます。花柄のクロスの上にリュートの楽譜が乗っていて、筆のあとが見えます。前景には若い女性がワイングラスを取り、エレガントな服を着た男が彼女に渡します。若い女性の笑顔に、男性はグラスを口にするように勧めています。少女が彼女の崇拝者の態度を受け入れています。彼女は、自身の優雅さやワイングラスを品よく持つ姿を、誇らしげのように見えます。身に付けた衣装は、実際には特別なときだけに着るような豪華な赤い絹のドレスです。日常の生活では、オランダの女性は紐で締め付ける胴着ではなく、より快適な服を着ていました。インテリアの背後の人物が憂鬱な態度で立っています。誘惑されて彼女の魅力的な存在に抵抗することができないのは彼女ではなく二人の男であることを示しています。ワイングラスは出生の寓意でワインを巡る恋の駆け引きを描いています。床が左前に歪んでいるように見えるのは、恋の駆け引きの先行きの不安を暗示しているようです。遠近法の消失点が壁の絵の額縁にあるので、壁の線も傾いています。窓の中に、色と形の美しい画面を作り出していて、絵を観る人は手綱を握っている女性の寓意的な姿を見ます。


17世紀のオランダでは、求愛と好色な関係を描く絵画は一般的でした。皮を剥いたレモンは、損なわれた純粋性の象徴と解釈され一方で、壁に飾られた古代の肖像画の紳士は、静かな傍観者としてこの場面を批判的な目で見ています。女性の笑顔は、子供のような無邪気さを意味するのか、近づいた男との危険な遊びを意味しているのでしょうか。伝統的な絵の象徴を新しく組み合わせたあいまいな表現は、オランダの風俗画を購入した当時の人には魅力的なものでした。





『赤い帽子の娘』1665-66頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵



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『赤い帽子の娘』はフェルメールの最も小さい作品の1つです。少女は彼女の椅子の中に向きを変え、そして彼女の直接の視線を通して見る人と対話しているようです。 『赤い帽子の娘』は、異常な自発性と非公式性で描かれています。芸術家の絶妙な色の使い方は、この絵の最も顕著な特徴であり、その構成上の影響と心理的な影響の両方のためです。フェルメールは2つの主要な色を2つの異なる領域に集中させました。帽子のための鮮やかな赤とローブのための豪華な青。それから彼は全体を統一するために白いクラバットの強度を使いました。赤い帽子は2層に塗られています。下層は黒い顔料と混合された朱色から成り、上層は茜湖の釉薬です。





『手紙を書く女』1665頃 ワシントン・ナショナル・ギャラリー


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17世紀のオランダでは郵便制度の発達に伴い手紙でのやり取りが盛んに行われた。フェルメールも手紙をテーマに6点の作品を描いています。毛皮付きの黄色い上着姿の女性は、机に向かい羽ペンを走らせている真っ最中である。ふと筆を休めた彼女は、絵の前に立つ私達を見つめるかのようにこちらに顔を向けています。穏やかな光の中で優しく微笑む女性。耳元の真珠のイヤリングに光の粒が輝いています。当時人々が憧れ、親しんだ手紙をめぐる情景を、フェルメールは美しい女性像を通じて描き出しています。





『恋文』 1669-70頃 アムステルダム国立美術館蔵



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後期の代表作のひとつです。部屋の手前からまるで中を覗き込むように描かれています。明るい室内でリュートを膝に乗せ、手紙を受け取る女主人。 絵の中には、彼女が「恋」にうつつを抜かしていることを暗示する楽器や放り出されたスリッパ、箒など、寓意的なモチーフがちりばめられています。訳ありげな表情を浮かべる女主人に、お手伝いの女性はいたずらっぽく微笑み、どこか親しげな雰囲気が漂います。練り込まれた構図と物語性の高さが際立つこの作品は、盗難の憂き目に遭うが13日後に発見され美術館に戻されました。





『手紙を書く婦人と召使い』

1670- 1671年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー



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厚みのあるペルシャ絨毯、緑のカーテンはワイングラスと同じ色です。壁の絵は旧約聖書の「モーゼの発見」、深い母の愛を示した絵画ですか、子供たちは登場しません。同時代の家具や調度品を巧みに配し、演劇の舞台のような空間を作っています。描かれているのは新しい女たち、婦人は愛する男に熱心に手紙を綴っています。登場人物の仕草や視線に息遣いを感じます。


この絵画はフェルメール後期の最も独創的な作品のひとつです。召使いの女性が窓の外を眺めている間に女主人が手紙を書いています。床には、この時代のやりとりで使われたであろう赤い封印、スティック状のシ封蝋)などが落ちています。




フェルメール絵画の凄さ

幻想のような現実を描き出すことにおいて、フェルメール作品は、他に類を見ない芸術的なレベルに到達ました。描かれる人物はしばしば寡黙で動きが少なく、絵画に厳粛で神秘的な雰囲気をもたらしています。



同時代の画家の作品も展示されていましたが、同時代の画家の作品と比べてみるとフェルメールの凄さが体感できました。レンブランドの弟子ヘラルト・ダウの超絶な細密画やハブリエル・メツーの男女間の手紙のやり取りを描いた作品と比べると、ダウほどリアルではなく、メツーほど明快ではありません。フェルメールは、あえて描写をぼかし、意味をひとつ絞ることをせずにあいまいさを残していることで、現実の時空から切り離し、永遠の絵画空間の中に閉じ込めてしまったように感じます。フェルメールの絵画は、現実社会とは異次元の時空を超えた世界として独立しているように感じます。そう感じさせるとところがフェルメールの孤高の凄さだと私は思います。



フェルメールの魅力

(文字をクリックするとリンクして、内容を見ることができます。)



父親の足跡をたどって、フェルメールはデルフトの美術商となり、1660年代と1670年代に4回そのギルドの長を務めました。フェルメールは生涯において比較的高く評価されていたようですが、亡くなったときに借金が多かったようです。






参考文献: 

朝日新聞出版 ()『フェルメール展』公式ガイドブック2018

マーティン・ベイリー 元木幸一訳 「フェルメール」

小林頼子「フェルメール――謎めいた生涯と全作品」 (角川文庫) 2008

尾崎 彰宏「西洋絵画の巨匠 (5) フェルメール」2006年 小学館

村田真 フェルメール展:artscapeレビュー

ももさえずり*紀行編 フェルメールからのヴォイス・レター 

ももさえずり*紀行編 フェルメールをおさめた函






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by desire_san | 2019-03-01 19:16 | 北方ルネサンスとフランドル美術の旅 | Trackback | Comments(15)
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Commented by snowdrop-uta at 2019-01-02 21:57
Happy New Year!

anthology
celebrating new year
with colorful flowers
with various verses
from your wonderful library

snowdrop
Commented by Harimogra at 2019-01-21 18:07 x
瀬川源平が、フェルメールの《牛乳を注ぐ女》書eいていますまで、紹介します。
流れ出る無限の時間
 傾けた壺の口からは、時間が流れ出ている。白い絵の具で描かれているのは、流れ落ちる牛乳である。でもその牛乳にぴたりと時間が張りついて、いっしょに流れ出ている。
 とろとろとろと、いつまでも時間は流れつづけ、牛乳も流れつづける。
 壺の中には無限の時間が詰まっていて、無限の牛乳も詰まっているのか、この絵をじーっといつまでも見ていても、牛乳時間は流れつづける。

 でもこれは絵である。キャンバスに油絵具で描かれている。流れ出る牛乳の白は、幅広の面積から一本の棒になり、白い垂直線として引かれている。つまり流体の牛乳は、そこで一本の棒として展示されて、牛乳に張りついた時間だけがそのままとろとろと流れつづけて、そうやって17世紀以降300数十年の歳月が流れた。
 時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。
Commented by Harimogra at 2019-01-21 18:09 x
 時間の枝分かれである。フェルメールのセットした時間と、それをセットした世の中の時間と。フェルメールが塗った、単なるふつうの油絵具が、永遠の瞬間といわれる時間の枝分かれを現実の物にしてしまった。それを可能にしたのは、フェルメールの奇跡的な描写力だと、いってしまえばそれだけのことになるが、描写力そのものの不思議さについて、これだけ考えさせられる画家は他にいないのである。でもそういう考えを表に出さなくても、この絵はフェルメールの絵の中でも「デルフトの眺望」に次ぐ大勢の人気をかちえて居る。 牛乳という流体に張りついた時間をあらわすためには、固体に張りついた時間の包囲が必要である。パンも籠も壺も、重力的安定を得たところでじっとして、流れる時間に道を開けている。陰の中で照り返る真鍮の輝きをあわらす絵筆もさることながら、壁に一端を留められた籠が、その編み目をやんわりと斜めにずらしながら下に傾く。そのわずかな重力を見つめるフェルメールの眼差しに、自分の心まで見透かされていくようだ。流れ落ちる牛乳を見つめる女の眼差しには、牛乳を見守る暖かさがある。でもそんな微細な暖かさを適確にに描き出してしまうフェルメールの透明な力に、いわゆる人間をちょっと超えた、神の位置エネルギーのようなものを感じてしまうのである。 
Commented by desire_san at 2019-01-22 20:55
Harimograさん 赤瀬川源平さんの引用ありがとうございます。

「牛乳を注ぐ女」という作品で最も魅かれるのは、赤瀬川源平さんが表現しているように「牛乳の流れ」の卓越した描写だと私も思います。
ここだけ見ても、この作品はフェルメールの「デルフトの眺望」に次ぐ傑作に相応しいといえますね。


Commented by snowdrop-nara at 2019-01-23 07:31
おはようございます。
姉妹ブログにコメントをありがとうございます。
フェルメール展にいらしたのですね!
ご自身の目で細部を一つ一つ味わっておられる様子が
伝わってくるようです。

ミルク・メイドの二つの解釈、興味深いです。
プロテスタントとの関連を見るのはベイリー、
東洋の陶磁器からの着想を見るのは小林頼子さんでしょうか。

昨年AIの描いたレンブラントの新作をテレビで見ましたが、
ルーベンスや、フェルメールは難しいかもしれませんね。
AIの作曲したバッハの音楽も動画で見つけました。
よろしければ拙ブログにもお越しください。

Commented by desire_san at 2019-01-23 09:52
snowdrop-naraさん いつも私のブログを読んで頂きありがとうございます。 フェルメールに限らず、芸術的な傑作は奥が深く、見れば見るほど新しい発見があり、感動がありますね。ルーベンスもフェルメールも、以前に私なりにレヴューを書いたつもりでしたが、今回美術展を見て、改めて見直してみると、まだまだ書くことがたくさんあるのに驚かされます。 レンブランドの「夜警」やフェルメールの「デルフトの風景」を見に行ったときは、絵の前で2時間近くくぎ付けになりました。そこには、言葉では言いつく着せない感動がありました。 AIが話題になっていますが、AIは、人間の仕事を奪うことはあっても、最終的に私たちに幸せを与えてくれるとは思えません。芸術に関して言えば、AIは所詮、贋作師の域をでないと思います。私たちが求めているのは、レンブラントの贋作ではなく、私たちに新鮮な感動を与えてくれる、斬新な傑作芸術です。
Commented by Feromenist at 2019-03-01 01:57 x
フェルメールの解説を拝読しました。ここまで詳しいご説明ができる感性の高さに敬服いたしました。私は難いことは分かりませんが、フェルメールは、遠目に眺めるだけで「華があるな」と感じます。同時代作品と比べると、室内の雰囲気や人の衣装など、描かれているものそれ自体は似ていますが、緻密さには差があるように感じます。フェルメールが格段に描写力があるかは判別しかねますが、群を抜いて丁寧に筆を運んでいるように感じました。
Commented by 平石悟 at 2019-03-01 02:40 x
フェルメールの芸術について冷徹ともいえる客観的視点で整理しておられるは、さすがだと思って読ませていただきました。最近よくいるフェルメールオタクにも読ませたいと、勝手に思った次第です。

フェルメールオタクは、フェルメールの作品を一つか二つ観て、フェルメールを知った気でいる人々が多いと思います。フェルメールの作品は、彼が描いた順に観ることで見えてくることがあるんです。彼の初期の作品には迷いがある。どういうテーマで描くのか、自分が何者になるのかという迷いが。しかしそれが、メトロポリタン美術館にある『眠る女』という作品を境に、彼の『正確に描く』という命題がはっきり現れ、吹っ切れる瞬間が、並べることで見えてくるんです。フェルメールの作品の文脈は、作品の中にあるのではなく外側にある。作品と作品をつなぐことで、彼の生きた足跡を知ることができるのです」。フェルメールを知った気でいる人々に、彼の本当の凄さを思い知らせる。福岡の動機は、フェルメールへの限りない敬意から生まれた純粋な「知ってほしい」という思いだ。また、「リ・クリエイト」を見た人にSense of Wonderを起こしたい。さらに、「オリジナルを見に行く」につなげたいとも。の作品を一つか二つ観て、フェルメールを知った気でいる人々の存在「。フェルメールの作品は、彼が描いた順に観ることで見えてくることがあるんです。彼の初期の作品には迷いがあります。どういうテーマで描くのか、自分が何者になるのかという迷いが。しかしそれが、メトロポリタン美術館にある『眠る女』という作品を境に、彼の『正確に描く』という命題がはっきり現れ、吹っ切れる瞬間が、並べることで見えてくるんです。フェルメールの作品と作品をつなぐことで、彼の生きた足跡を知ることができるのです。フェルメールを知った気でいる人々に、彼の本当の凄さを思い知らせるのだと思います。
Commented by desire_san at 2019-03-01 16:27
Feromenistさん コメントありがとうございます。

フェルメールの作品は、丁寧に筆を運んでいるとお感じになるのはさすがですね。
フェルメールは絵を描いているときも、丹念に構想を練りなおしているので、一つの絵をかくのにも他の画家より時間をかけていますから、結果的に丁寧に筆を運んでいるのでしょうね。
「華がある」とお感じになるのは、私もまったく同感です。
Commented by desire_san at 2019-03-01 16:37
平石さん いつも私のブログを読んでいただいてありがとうございます。

ご指摘のように、フェルメールも初期の作品には迷いがあるとお感じになるように、自らの芸術を確立するまで相当悩みぬいたと思います。
どんな芸術家も、このような悩みに正面から向き合って、葛藤することで、すばらしい芸術を作り上げていくのだと思います。
作品を一つか二つ観てその芸術家がほんとうにわかるわけがないというご意見も、まったくドア同感です。


Commented by snowdrop-momo at 2019-03-02 17:40
こんばんは。
拙ブログにコメントとTBをありがとうございます。
リコメ差し上げたさい、ご要望のTBを試みたのですが
今回はなかなか成功しません。
また日時を改めて試みますので、今しばらくお待ちください。

desireさんは色んな美術館で何度もフェルメールをご覧になっておられて羨ましいです。
大阪への巡回展、フェルメールは6点に減りましたが
まだ人が少ないのでゆっくり見比べることができました。

他の画家たちの絵も興味深いですね。
あんかなど、フェルメールとも共通のモチーフも多くて…
絵の本質とは、何を描くかではなくどう描くかにあるということが
フェルメールとそれ以外の画家たちを比較するとよく分かります。

改めて貴記事を拝読すると、新たな発見があり勉強になりました。
こちらは拙い小説仕立てですが、ご意見など頂戴できると光栄です。
どうぞよろしくお願いいたします。
Commented by desire_san at 2019-03-02 19:14
snowdrop-momoさん  早速コメントいただきありがとうございます。

フェルメールの時代、オランダでは、徹底としたリアリズムとレンブラントの追随者が主流だったと理解しています。フェルメールは、自分の絵画空間を現実と切り離し、独自の世界を築こうとしたのだと思います。

この根本的な違いが、フェルメールの魅力だと私は思っています。

大阪展では、東京展には来なかった『恋文』が来ていますね。 『恋文』を見たのは20年以上前ですが、フェルメール屈指の傑作のひとつだと思います。

Commented at 2019-03-04 07:00
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2019-03-04 20:39
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by desire_san at 2019-03-04 21:51
snowdrop-momoさん こちらこそいろいろありがとうございます。

どこに入れようか迷いましたが、私がフェルメールのことを考える機会に、snowdrop-momoさんのブログを再び見られるようにすることが目的ですので、参考文献の欄に入れさせていただきました。参考文献の並ぶ欄の末尾では失礼かとも思いまとしたが、お気に障られたらお詫び申し上げます。

今後ともsnowdrop-momoさんのブログを読んで、感性を磨きたいと思っております。よろしくお願い申し上げます。