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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

ムンクとゴッホ・ゴーギャン 素晴らしい比較

ムンクとゴッホ・ゴーギャン 素晴らしい比較

Munchand Goch · Gauguin excellent comparison


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 ノルウェーのエドヴァルド・ムンク(1863 - 1944年)とオランダ人のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ1853 - 1890年)は出会いませんでしたが、彼らは魂の同胞と言えるように感じます。繰り返され続ける生や死、愛と希望の喪失による恐怖と苦痛に心痛めつけながら、人間の存在の意味という、答えのない本質的で普遍的な問題を追求し、苦悩しながら熱心に取り組み続けました。





 ふたりの画家はパリに魅了され、そこで印象派はふたりの芸術の世界を刷新しました。ムンクが同じことをする2年前の1886年に、ゴッホはフランスの首都パリに行きました。フランスの印象派の鮮やかな色とゆったりとしたスタイルからパリにインスピレーションを受け、彼ら自身絵画を刷新し、期せずして同じ方向に変革するきっかけとなりました。ゴッホの星空とムンクの悲鳴は現在世界で最も有名な絵画の一つです。ムンクは「ゴッホは彼の短命の中に彼の炎を消さなかった、彼のブラシは火と光でいっぱいだった」と言っています。1900年代以降の背景画などで、ムンクがゴッホから影響を受けていることは明白で、二人とも日本の木版画からも強い影響を受けています。ムンクとゴッホの間には、類似点があります。ゴッホは1888年耳の一部を切り落とし、14年後、ムンクは自分の手で自分を撃ち、二人とも精神科の診療所で時間を費やしました。恐怖、人間の苦しみ、慰め、希望、そして愛は永遠のテーマです。星空の夜、叫び、病気の子供とマドンナ(ムンク)、麦畑雷雲と庭(ゴッホ)。非常に多くの点で似ている2人の芸術家が比較されます。

アムステルダムのゴッホ美術館で、2016年「ムンクとゴッホ展」でふたりは兄弟的な関係で並べて展示されました。それは美しく、時には驚くべき化学反応をもたらしました。ゴッホの黄色い家とムンクの赤は美しく調和しました。モンテカルロのルーレットテーブル(ムンク)とアルルのダンスホール(ヴァン・ゴッホ)と2つ星の夜の対比も面白い。『叫び』はヴァン・ゴッホの隣に展示されました。恐怖と苦しみのテーマだけでなく、構成の点でも主人公は絵の外に傾斜している橋の上の孤独です。最も美しいムンクのひとつ『ラファイエット通り』 ゴッホ美術館の2016年「ムンクとゴッホ展」会場では、ムンクの「生命のフリーズ」やゴッホの「デコレーション」という、類似する構想や作品を比較することで、新しい角度から展示して見せました。


 この展示の巧妙な点は、比較がしばしば求めますが、必ずしも成功しないということです。ゴッホが急速に自らの絵を発展させます。彼は1885年から1890年の間に明るい色を使い始め、そして大胆な主題と難しい配色を選びました。その当時、ムンクはまだ伝統的なスタイルで絵を描いています。ゴッホ自らの末路を感じ始めたとき、ムンクは彼の最も有名な作品を作り始めました。激しい色は20世紀の間にムンクによって使用されるだけです。ゴッホ(1888年)とムンク(1924年)の星明かりの夜の比較は、ムンクが35年後でした。


 ゴッホ美術館の説明によると、アーティストは同じ主題を選び、同じ感情を感じ、同じ色を使っています。博物館は2つの作品を比較することによってこれを示しています。組み合わせが必ずしもうまくいくとは限らないということは、単純な遠近法の線とヴァン・ゴッホの絵との比較のために並べられた『叫び』で明らかである。 2つの森の絵の場合、結束力は完全に失われていますヴィンセント・ヴァン・ゴッホとエドヴァルド・ムンクの違いは顕著です。 1890年の一般的な色彩理論によると、ヴァン・ゴッホはほぼすべての作品で反対の色を使用しています。ムンクは色の使用をはるかに自由にして形を単純化しました。


 1905年にエドヴァルド・ムンクがヴィンセント・ヴァン・ゴッホを知っていたことを彼のクライアントに納得させようとしたとき、彼はオランダ人天才画家への賞賛を表明しました。ムンクはヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品を知っていて、そこからインスピレーションを得ているでしょう。アムステルダムでは、しかし、2人の優れた芸術家として、それぞれは独立していて、どんな比較も意味がないよにも感じます。




南仏アルルの画家・ゴッホと北欧の画家・ムンク決定的違い

 モンドリアンの初期の風景画(「突堤の見えるドムブルフの浜辺」)とドランの風景画(「コリウール港の小舟」)を比べると、ヨーロッパの北の方の人と南の方の人との光の捉え方の違いを感じます。「光」に対する感じ方、考え方が全然違うのです。初期のモンドリアンはすんだ光を特徴とするハーグ派にルーツを持ちつつ、同時に表現主義に近い色彩の感覚があります。表現主義といえば、ノルウェーのムンク、ドイツの北の方の人・ノルデで、基本として北の光で、印象派から、ゴッホ、ゴーギャン、そしてマティスへとつながる南の光の系譜とは根本的に異なります。ゴッホもハーグ派にルーツとしていましたが、次第に南の光に移行していきました。ゴッホにとって「色彩」は本質的な問題でもなかったようですが、色彩を否定するどころか凄い、ゴッホの凄い色彩がゴッホの作品を解り難くしているようにも考えられます。







 ゴッホのデッサンから「大気の動き」がはっきりと見えるように感じます。大気が動いているという感じは、印象派的な風景画を描くシスレーやピサロの風景との明確な違です。印象派が描いているのは、空気の中での光の複雑な屈折や乱反射ですが、ゴッホは大気そのものが動き、刻々と変化しているうねりが描き込まれています。これはデッサンの方がより生々しく大気の動きが感じられます。ゴッホには、大気が動く様が手に取るように見えていたのではないかと思います。大気を見て表現することは、オランダの風景から来ています。海の近くの土地の空は、内陸の空とは大きく違うということを、現地に旅をしてみると容易に感じとることができます。



 ノルウェーの画家エドワルド・ムンク(1863-1944fig.1)とオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890fig.2)の二人は、その生涯に出会うことはなかった。しかし、同時期に画家として歩みをはじめ、同時期にパリに滞在して新しい芸術を貪欲に吸収し、非常に類似したテーマに取り組みました。画家として似たような道のりを辿ったにも関わらず、それぞれが生み出した絵画は大きく異なります。オランダのゴッホ美術館の「ムンクとゴッホ」展は、ゴッホ美術館とオスロのムンク美術館との長年にわたる共同研究に基づき、ムンクとゴッホの類似点と相違点を検証した展覧会だったようです。

 

 同時期にパリに滞在しているムンクとゴッホが出会うことはありませんした。しかし、二人ともモネの光と色彩表現を尊敬し、マネの肖像画やロートレックの人物画にインスピレーションを受け、ピサロの点描技法を経験し、カイユボットの画面構成を取り入れ、新しいアイディアをスポンジのように吸収し、自らの芸術を確立していった。ムンクとゴッホを深く結び付ける類似点は、人間の存在の本質と、その意味を追求する姿勢でした。繰り返され続ける生や死、愛と希望の喪失による恐怖と苦痛など、答えのない本質的で普遍的な問題に熱心に取り組みました。奇しくも二人とも、恋愛のもつれにより、自らの身体を傷つけています。ゴッホはこれらのテーマをオーギュスティーヌ・ルーラン)やサン・ポール療養院の庭で、ムンクは星明りの夜』『叫び』『病気の子ども』で取り組みましだ。


 同じ絵画技術を習得し、同様のテーマを扱っていたのにも関わらず、二人が描いた作品は大きく異なっていいます。ゴッホの『ひまわり』とムンクの『叫び』を比べると明らかなように、ゴッホは現実世界を、練習に練習を重ねて描き、ムンクは見ているものではなく、見たものを現実世界に縛られることなく自由に描いていて、二人の画家としての本質的な在り方の違いが浮き彫りになります。



 ノルウェーのエドヴァルド・ムンク(1863 - 1944年)とオランダ人のヴィンセント・ヴァン・ゴッホ1853 - 1890年)は出会いませんでしたが、彼らは魂の同胞と言えるように感じます。ふたりの画家はパリに魅了され、そこで印象派はふたりの芸術の世界を刷新しました。ムンクが同じことをする2年前の1886年に、ゴッホはフランスの首都パリに行きました。フランスの印象派の鮮やかな色とゆったりとしたスタイルからパリにインスピレーションを受け、彼ら自身絵画を刷新し、期せずして同じ方向に変革するきっかけとなりました。ゴッホの星空とムンクの悲鳴は現在世界で最も有名な絵画の一つです。ムンクは「ゴッホは彼の短命の中に彼の炎を消さなかった、彼のブラシは火と光でいっぱいだった」と言っています。1900年代以降の背景画などで、ムンクがゴッホから影響を受けていることは明白で、二人とも日本の木版画からも強い影響を受けています。ムンクとゴッホの間には、類似点があります。ゴッホは1888年耳の一部を切り落とし、14年後、ムンクは自分の手で自分を撃ち、二人とも精神科の診療所で時間を費やしました。恐怖、人間の苦しみ、慰め、希望、そして愛は永遠のテーマです。星空の夜、叫び、病気の子供とマドンナ(ムンク)、麦畑雷雲と庭(ゴッホ)。非常に多くの点で似ている2人の芸術家が比較されます。


 アムステルダムのゴッホ美術館で、2016年「ムンクとゴッホ展」でふたりは兄弟的な関係で並べて展示されました。それは美しく、時には驚くべき化学反応をもたらしました。ゴッホの黄色い家とムンクの赤は美しく調和しました。モンテカルロのルーレットテーブル(ムンク)とアルルのダンスホール(ヴァン・ゴッホ)と2つ星の夜の対比も面白い。『叫び』はヴァン・ゴッホの隣に展示されました。恐怖と苦しみのテーマだけでなく、構成の点でも主人公は絵の外に傾斜している橋の上の孤独です。最も美しいムンクのひとつ『ラファイエット通り』 ゴッホ美術館の2016年「ムンクとゴッホ展」会場では、ムンクの「生命のフリーズ」やゴッホの「デコレーション」という、類似する構想や作品を比較することで、新しい角度から展示して見せました。


 この展示の巧妙な点は、比較がしばしば求めますが、必ずしも成功しないということです。ゴッホが急速に自らの絵を発展させます。彼は1885年から1890年の間に明るい色を使い始め、そして大胆な主題と難しい配色を選びました。その当時、ムンクはまだ伝統的なスタイルで絵を描いています。ゴッホ自らの末路を感じ始めたとき、ムンクは彼の最も有名な作品を作り始めました。激しい色は20世紀の間にムンクによって使用されるだけです。ゴッホ(1888年)とムンク(1924年)の星明かりの夜の比較は、ムンクが35年後でした。


 ゴッホ美術館の説明によると、アーティストは同じ主題を選び、同じ感情を感じ、同じ色を使っています。博物館は2つの作品を比較することによってこれを示しています。組み合わせが必ずしもうまくいくとは限らないということは、単純な遠近法の線とヴァン・ゴッホの絵との比較のために並べられた『叫び』で明らかである。 2つの森の絵の場合、結束力は完全に失われていますヴィンセント・ヴァン・ゴッホとエドヴァルド・ムンクの違いは顕著です。 1890年の一般的な色彩理論によると、ヴァン・ゴッホはほぼすべての作品で反対の色を使用しています。ムンクは色の使用をはるかに自由にして形を単純化しました。


 1905年にエドヴァルド・ムンクがヴィンセント・ヴァン・ゴッホを知っていたことを彼のクライアントに納得させようとしたとき、彼はオランダ人マスターへの賞賛を表明した。ムンクはヴィンセント・ヴァン・ゴッホの作品を知っていて、そこからインスピレーションを得ているでしょう。アムステルダムでは、しかし、2人の優れた芸術家として、それぞれは独立していて、どんな比較も意味がないよにも感じます。




 モンドリアンの初期の風景画(「突堤の見えるドムブルフの浜辺」)とドランの風景画(「コリウール港の小舟」)を比べると、ヨーロッパの北の方の人と南の方の人との光の捉え方の違いを感じます。「光」に対する感じ方、考え方が全然違うのです。初期のモンドリアンはすんだ光を特徴とするハーグ派にルーツを持ちつつ、同時に表現主義に近い色彩の感覚があります。表現主義といえば、ノルウェーのムンク、ドイツの北の方の人・ノルデで、基本として北の光で、印象派から、ゴッホ、ゴーギャン、そしてマティスへとつながる南の光の系譜とは根本的に異なります。ゴッホもハーグ派にルーツとしていましたが、次第に南の光に移行していきました。ゴッホにとって「色彩」は本質的な問題でもなかったようですが、色彩を否定するどころか凄い、ゴッホの凄い色彩がゴッホの作品を解り難くしているようにも考えられます。



 ゴッホのデッサンから「大気の動き」がはっきりと見えるように感じます。大気が動いているという感じは、印象派的な風景画を描くシスレーやピサロの風景との明確な違です。印象派が描いているのは、空気の中での光の複雑な屈折や乱反射ですが、ゴッホは大気そのものが動き、刻々と変化しているうねりが描き込まれています。これはデッサンの方がより生々しく大気の動きが感じられます。ゴッホには、大気が動く様が手に取るように見えていたのではないかと思います。大気を見て表現することは、オランダの風景から来ています。海の近くの土地の空は、内陸の空とは大きく違うということを、現地に旅をしてみると容易に感じとることができます。


 ノルウェーの画家エドワルド・ムンク(1863-1944fig.1)とオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890fig.2)の二人は、その生涯に出会うことはなかった。しかし、同時期に画家として歩みをはじめ、同時期にパリに滞在して新しい芸術を貪欲に吸収し、非常に類似したテーマに取り組みました。画家として似たような道のりを辿ったにも関わらず、それぞれが生み出した絵画は大きく異なります。オランダのゴッホ美術館の「ムンクとゴッホ」展は、ゴッホ美術館とオスロのムンク美術館との長年にわたる共同研究に基づき、ムンクとゴッホの類似点と相違点を検証した展覧会だったようです。


 同時期にパリに滞在しているムンクとゴッホが出会うことはありませんした。しかし、二人ともモネの光と色彩表現を尊敬し、マネの肖像画やロートレックの人物画にインスピレーションを受け、ピサロの点描技法を経験し、カイユボットの画面構成を取り入れ、新しいアイディアをスポンジのように吸収し、自らの芸術を確立していった。ムンクとゴッホを深く結び付ける類似点は、人間の存在の本質と、その意味を追求する姿勢でした。繰り返され続ける生や死、愛と希望の喪失による恐怖と苦痛など、答えのない本質的で普遍的な問題に熱心に取り組みました。奇しくも二人とも、恋愛のもつれにより、自らの身体を傷つけています。ゴッホはこれらのテーマをオーギュスティーヌ・ルーラン)やサン・ポール療養院の庭で、ムンクは星明りの夜』『叫び』『病気の子ども』で取り組みましだ。


 同じ絵画技術を習得し、同様のテーマを扱っていたのにも関わらず、二人が描いた作品は大きく異なっていいます。ゴッホの『ひまわり』とムンクの『叫び』を比べると明らかなように、ゴッホは現実世界を、練習に練習を重ねて描き、ムンクは見ているものではなく、見たものを現実世界に縛られることなく自由に描いていて、二人の画家としての本質的な在り方の違いが浮き彫りになります。



装飾画家としてのムンク

両親を亡くしてムンクは内なる感情を無数に描き残すようになります。「呼吸し、感じ、苦悩し愛する、生き生きとした人間を描くのだ。」「私の芸術は自己告白であるムンクの絵は、人間の内面を凝視し象徴的に表現する芸術に変わっていきます。『生命のフリーズ』にはムンクの芸術感が込められています。「フリーズ」とは、建築の帯状の装飾を指す言葉で、ムンクは、自らの芸術の核と作品群を『生命のフリーズ』と名付けたのは、生命の有様を示す一連の装飾的な絵画として考えられたと考えられます。ムンクを理解するには『生命のフリーズ』を観ることが不可欠です。ムンクはその構想を、次のように説明しています。「私は、それらの絵を並べて見みて、数点のものが内容の点で関連があるのを感じた。それらのものだけを一緒に並べるとある響きが木魂し、一枚ごとに見たときとは全く異なるものとなり、それはひとつの交響曲になったのである。」『生命のフリーズ』でムンクは、時には作曲家として、時には指揮者として、オーケストラの奏でる交響曲のようのように創り上げ、楽器のパートの演奏がひとつにまとめられた時に初めて、作品として完成すると考えていたのです。「私は現在、絵画の連作の制作に没頭しています。多くの私の作品は、それに属するもので、これまで難解であると思われてきた作品も、まとまって見られたならもっと理解しやすくなると思います、愛と死がその主題です。」とムンクは手紙を書いています。



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『生命のフリーズ』がひとつの到達点を見せたのは1902年、第5回ベルリン分離派に招待され、22点の油彩作品を「フリーズ:生のイメージの連作の展示」というタイトルもとで出品し、これらの作品をさらに4つのセクション「愛の芽生え」「愛の開花と移ろい」「生の不安」「死」に区分して展示しています。この展示は"装飾性"という観点からも、重要なものでした。ムンクは何よりも、1890年頃から描き続けてきた『生命のフリーズ』の作品群が、展示される場所を強く望んでいました。1918年、ムンクはオスロのブロンクヴィスト画廊で個展を開き、『生命のフリーズ』の作品20点を再び壁画的形式で展示することを試みました。2007年にその時の展示をイメージして展示し、フリーズ装飾画家としてのムンクに焦点を当てていました。確かに、ムンクの絵画を壁画のように並べて大作として鑑賞してみると、その空気感が響き合い、動き出し、色が踊るのです。『生命のフリーズ』を並べることにより、装飾画家としてのムンクを感じさせました。



国立西洋美術館で開催された「ムンク展」ではムンクの「装飾画家」としての軌跡をたどり『生命のフリーズ』における装飾性の展開を扱い、アクセル・ハイベルク邸やマックス・リンデ邸といった個人住宅の装飾や、ベルリン小劇場、オスロ大学講堂、フレイア・チョコレート工場、オスロ市庁舎の壁画構想といった公的建築でのプロジェクトを紹介していました。


『生命のフリーズ』は、絵の具の塗り方が水彩を思わせる薄塗りなのも新鮮でした。これは明らかにゴーギャンの影響で、ムンクの美意識はテーマの志向が近いゴッホよりもゴーギャンに共鳴していたことが分かります。






■参考文献

千足 伸行, 冨田 章 () 『もっと知りたいムンク』東京美術 2018

ムンク展 200710/620081/6 国立西洋美術館 公式カタログ

亀山裕亮 「ムンクのセルフ・イメージ形成」

『第 68 回美学会全国大会 若手研究者フォーラム発表報告集』(2018 3 月)

エドヴァルト ムンク、鈴木 正明 ()「自作を語る画文集」生のフリーズ 2009

中野京子/著 『怖い絵』 朝日出版社 2007

Artpedia 近現代美術の百科事典  https://www.artpedia.jp/





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by desire_san | 2019-01-12 20:26 | 美術展 & アート | Trackback | Comments(2)
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Commented by rollingwest at 2019-01-27 16:57
ムンク展に行って、ゴッホ・ゴーギャン・シャガールなど、時代的な共通点を感じました。
Commented by desire_san at 2019-01-27 17:07
rollingwestさん いつも私のブログを読んで頂いてありがとうございます。

ゴッホやゴーギャンは、時代をこ先取りした天才画家のので、そう感ずるかもしれませんね。