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心に残った旅・芸術とアートとの出会い   

美しいアリアと音楽が溢れる、最も親しみやすいワーグナーのオペラ

ワーグナー『タンホイザー』

Wagner “ Tannhäuserund der Sängerkrieg auf Wartburg

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新国立劇場で、ワーグナー『タンホイザー』を鑑賞してきました。2013年に上演された舞台の再演でした。同じオペラの演目を同じ演出で観ることは滅多にないのですかが、1回目にはワーグナーの狂気ともいえる興奮を体験したのに対して、2回目だったので冷静な気持ちで鑑賞すると、新しい発見がありました。






あらすじと音楽構成は、前回の鑑賞レポートをご参照下さい。

2013年の『タンホイザー』の舞台の鑑賞レポート



ワーグナー・オペラは自身が楽劇と呼んでいる『トリスタンとイゾルデ』以降の作品は極めて完成度が高いと思いますが、そこに至るまでオペラは開発途上という感じがします。『タンホイザー』においても、密度の高い第2幕に対して、1のヴェーヌスが登場するまでのバッカナールの部分が長すぎますし、第3幕で歌が上手い以外取り柄のないタンホイザーの救済のために、聖女と呼ばれるほど気高く賢いエリーザベトが命を捧げる話も説得力に欠けています。それが演出や配役にもよるかもしれませんが、今回改めてこの作品を鑑賞して、作品の本質的問題ではないかと感じました。



ワーグナーのオペラの脚本が非常識や理不尽、奇想天外なのは承知の上でもその舞台に通いたくなるのは、ワーグナーの天才的独創が、時空の超越、魂の宿命、生の恐怖、贖罪と共同体の重み、夢の現実の境界の崩壊などを描きつつ、例えばこの『タンホイザー』では、性愛を邪悪とするキリスト教的規範が支配する中世社会を、異教的なヴェーヌスベルクの音響的高揚と対比させたワーグナーの見事な音楽手法が魔法のように心に響くからです。




タンホイザーは、徳と秩序の世界・ヴォルフラムにも、官能の世界・ヴェーヌスベルクにも安住の地を見出せません。歌手タンホイザーの魂には、愛の神ヴェーヌスが取り憑いていて、歌という芸術の欲求の根源を成しているのです。歌合戦でのタンホイザーの衝動的行動は、タンホイザーの歌の根源にヴェーヌスの存在があったからだと思います。現実と妄想の狭間で心が満たされず、行動は衝動的、突発的で、破滅的な生を奔走する姿は、ワーグナー自信を投影しているようにさえ感じます。



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タンホイザーは「ヴェーヌスの洞窟に逗留したなら、永劫の罰が与えられる。地獄の業火から救われることはあり得ない」とローマ法王から宣告されて自暴自棄になり、自分の言葉に興奮を抑えきれず、「ヴェーヌスよ、お前のところに戻るぞ!」と絶叫すると、ヴェーヌスが姿を現します。「戻ってきたのね、不実な人。」と歌い、オーケストラはヴェーヌスベルクを表現した旋律を奏でます。ヴェーヌスのもとへ行こうとするタンホイザーを必死に引き止めるヴォルフラムは「ひとりの天使がお前のために祈った。やがて祝福をしながらその魂がお前の上を飛ぶだろう。エリーザベトだ!」と叫びます。男性コラールがエリーザベトの昇天を告げて、初めてタンホイザーは「エリーザベトよ!我がために願え!」の叫び息絶え、救済されます。タンホイザーは、エリーザベトが命をかけて救済するほど、価値のある男だったのでしょうか。



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ヴォルフラムは、タンホイザーを理解し共感する気持ちもあります。しかし、節度を持ち内なる情熱を制御しヴァルトブルクを安住して美しいバリトンの美声を聴かせる機会を与えられています。ヴォルフラムタンホイザーより人間として安定感があり、常識的にははるかに魅力的だと思います。しかし、タンホイザーの歌は、抗しがたい危険な魅力を発散していて、エリーザベトは、ヴォルフラムよりタンホイザーに魅かれてしまったのです。




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エリーザベト性愛を邪悪とするキリスト教的抑圧的規範の支配する社会で、純愛無垢な理想の女性像として賛美され尊敬されている存在でした。エリーザベトが性愛を賛美するタンホイザーの歌に魅かれたのは、キリスト教的抑圧的規範の支配する社会の閉塞感から解放されたいという潜在的願望から、タンホイザーの歌に共鳴したのかも知れません。現代の日本人には理解しがたいことかも知れませんが、当時のドイツでは、恋愛はご法度という社会風土でした。エリーザベトがタンホイザーに恋心を持っていたとしても、死んでいく恋人たちに許された唯一の愛の二重唱は、第2幕でタンホイザーと再会した時の喜びの二重唱だけでした。ヴァルトブルクで生きるエリーザベトは、自らの性愛を断念するしかなく、「天の仲介者」聖女の道を選択しました。エリーザベトが自分の意志を貫くには、愛の神ヴェーヌスと対極をなす聖母マリアに自らの命を捧げるのが唯一の選択肢だったのかも知れません。




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今回の舞台で一番魅力的な主役はエリーザベトでした。エリーザベトを演じたリエネ・キンチャは、透明感のある清らかで伸びのある声で、「この大切な殿堂よ!」のアリアは大変魅力的で、タンホイザーとの2重唱はタンホイザーとの適度の距離感を保ちつつ滑らかで清々しく感じました。タンホイザーがヴェーヌスベルクにいたことを知った衝撃にも、毅然としてタンホイザーをかばい、ローマ行きを勧めるエリーザベトの「この人から下がりなさい~」の歌は、強い苦悩を受け止めつつワーグナー・ソプラノらしい強さを感動的に歌い上げていました。第3幕の静かなマリアへの祈り「エリーザベトの祈り」も心を打ちました。帰ってきた巡礼者の中にタンホイザーの姿を探しても見つけることができず、エリーザベトは思いつめたように、「全能の処女マリア様、私の願いをきいてください。」とエリーザベトが祈りの歌と寄り添うように奏でるクラリネットを始めとする管楽器の演奏の美しさは秀逸でした。繊細な表現から強さまで歌で表現なできるリエネ・キンチャはまさにヒロインの風格がありました。



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タンホイザーを歌ったトルステン・ケールは、ヘルデンテノールらしく歌う「ヴェーヌスを讃える歌」が第1幕から効果的に舞台を演出していました。特に第2幕の歌合戦の場面で、突然何かに取りつかれたように恍惚になって歌ってしまう「ヴェーヌスを讃える歌」は、雰囲気を一転させる輝を持っていました。3幕の「ローマ語り」は涙を誘う感動的な最高の歌唱でした。



ヴォルフラムを歌ったローマン・トレーケルは、誠実さを感じさせ、端正な歌も魅力的でした。ヴォルフラムの最高の聴きどころである「夕星の歌」も秀逸でした。タンホイザーより人間的に魅力を感じさせたのは、演出の意図に沿ってのものだったのでしょうか。



ヴェーヌスを歌ったアレクサンドラ・ペーターザマーは、官能と愛欲の女神と言うよりは、滋味溢れる大地の女神的な歌唱に温かいヴェーヌス像を感じました。第1幕のタンホイザーを誘惑する、ペーターザマー演ずるヴェーヌスの歌は、魔女を感じさせる妖艶な声というより、聖女のような気品のあるさわやかな声でした。聖女エリーザベトと対極をなす愛の神ヴェーヌスの風格がありました。




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それに比べると美しさも品がない第1幕前半のバッカナールの踊りは目を覆いたくなりました、この程度の踊りなら、アイドル歌手のバックダンサーレベルで十分でしょう。ジャニーズジュニアやAKB48の2軍に任せた方がもっと上手に見せ場を作れたと思えたほどです。新国立バレエ団のバレエダンサーを使うなら、もっと美しく踊らせるべきだったのではないでしょうか。



新国立合唱団はいつもながらラ安定感があり、第2幕の巡礼団の合唱などは感動的でした。



アッシャー・フィッシュ指揮東京交響楽団の演奏は、美しい弦のアンサンブルやオーボエのソロは美しく、最終幕では胸動かされる盛り上がりを感じましたが、ワーグナーのオペラならではの重層的に押し寄せるような迫力が弱く、抑揚薄い演奏だったように感じました。

2019年2月2日 新国立劇場オペラパレス)






参考:ストーリーと音楽


■序曲

ドイツ音楽らしい重厚かつ深みのある響きが魅力の両端部分と色彩感にあふれた中間部からなり、最初のクラリネット、ファゴット、ホルンが奏でる有名な旋律、ローマへの巡礼者たちが歌うキリスト教の三位一体に通ずる「巡礼の合唱」と、オペラの物語のキーとなる2つの旋律を軸にして、全体を予告するような役割が与えられています。



第1幕

■第2場

快楽の世界に溺れていたタンホイザーが、夢から覚め身を起こします。ヴェーヌスベルクにはウンザリしていたタンホイザーは、一度は捨て去った地上の世界で、夢の中で教会の鐘の音を聞いたヴァルトブルクに戻りたいとの思いが募っています。


翻意を促すヴェーヌスの甘い言葉に誘われてタンホイザーは、竪琴を手に旋律に乗せて「ヴェーヌスを讃える歌」を歌います。ヴェーヌスはその歌にタンホイザーの悲しみが潜在していることを聴き逃さず、ヴェーヌスは「いとしい人よ、あの洞窟をご覧なさい」と誘惑をし続けて詰め寄ります。再び竪琴を手にタンホイザーは「ヴェーヌスを讃える歌」を歌いますが、同じ旋律を基にしながらも変ニ長調からニ長調に移調されます。これは、タンホイザーの心がヴェーヌスから離れてしまったことの暗示と同時に、快楽から神聖なものへの渇望を表現するためのニ長調と考えられます。タンホイザー引き止めることはできないと悟ったヴェーヌスは、タンホイザーをなじり激しい調子の二重唱が繰り広げられます。「現世に戻っても決して赦しは与えられない」と迫るヴェーヌスに対し、タンホイザーが「救いは聖母マリアのうちにこそ!」と歌います。



第2幕

■前奏

弦楽器が明るく朗々と鳴り、タンホイザーが戻ってきたことを喜ぶエリーザベトの弾むような気持ちが端的に音楽で表現されています。オーボエのソロに導かれるようにヴァイオリンが奏でる旋律は、エリーザベトの「殿堂のアリア」の旋律と同じです。


ヴァルトブルク城内にある歌の殿堂の広間。前奏に続いてエリーザベトが「殿堂のアリア」を歌いまいす。思い出の多い殿堂の中でタンホイザーが戻ってきたことの喜びを情感タップリに歌い上げるアリアです、途中タンホイザーがいなくなっていた間の寂しさを歌う部分は陰りを感じさせる音楽となっています。



■第2場

ヴォルフラムに導かれてタンホイザーが殿堂に入ってきます。タンホイザーは勢いよくエリーザベトのもとに走り寄り、その足下に跪きます。エリーザベトはタンホイザーに立つよう促し「長い間、どこに行っていらしたの?」と尋ねますが、「愛の動機」とも呼ばれる旋律に乗せた優しさを感じさせる歌です。エリーザベトの問いに呼応するようにヴァイオリンとヴィオラが奏でる8分音符の刻みは、フォルティシモから一気にピアノにまで音量を急速に下げるディミヌエンドを伴っていて、タンホイザーの心の揺らめきを表現しています。


タンホイザーは、立ち上がり「はるか遠く離れた国々にいました。厚い忘却の帳が今日と昨日の間に降りています」と答えます。純真なエリーザベトにとってはヴェーヌスベルクでの不行状などは、想像すら出来ないことです。エリーザベトが「あなたをここに連れ戻したのは、何だったのですか?」と重ねて尋ねると、タンホイザーは「奇蹟だったのです!」と言い切ります。「奇蹟を讃えましょう!」と素直に喜ぶエリーザベト、2人の歓喜に満ちた二重唱に終盤でヴォルフラムも加わり締め括られます。この場面は伝統的なオペラのスタイルに従っています。タンホイザーは、ヴォルフラムとともに殿堂を後にます。



■第4場

歌合戦を見学する貴族やその夫人たち、参加する歌手、騎士たちが続々入場してきます。トランペットのファンファーレに導かれるように始まる有名な大行進曲の中に、①力強さと荘厳さを表わす主題、②高貴で優雅な主題、③騎士をイメージした主題の主要な3つの旋律が登場します。


行進曲とともに入場してきた人々がそれぞれ定められた席に着くと、領主ヘルマンが立ち上がり、歌合戦のテーマを「愛の本質を究明できるか」に定め、「その問いを解き、最高の品位を込めて歌った者に、エリーザベトが賞を授与する」として、開会を宣言します。


エリーザベトが黄金の鉢に入れられた参加者の名札の中から1枚選び、小姓たちの呼び出しに応じて進み出たヴォルフラムが一番手として歌い始める。「気高いこの一座を見渡せば」で始まるヴォルフラムの歌は、愛を清らかな泉に准えて賛美する内容で、「光まばゆい空にかかる、ただひとつの星を仰ぎ見ると」の星とはエリーザベトを暗示し、第3幕でヴォルフラムが歌う有名なアリア「夕星の歌」の伏線となっています。貴族やその夫人たちからは賛同する声が上がります。


茫然とした様子で耳を傾けるタンホイザーに、オーケストラはバッカナールの旋律を奏で、タンホイザーに一瞬、ヴェーヌスベルクの記憶が蘇ったことを表現します。ここのような旋律の使い方は、ライトモティーフの萌芽と見ることができます。タンホイザーはヴォルフラムが愛を泉に喩えたことに同調しつつも、「熱く燃える渇望なしには、僕はそこに近づけない」と欲望を正面から捉えていないことを批判すします。ヴァルターが立ち上がり、ヴォルフラム同様、清らかな愛を讃える歌を披露し、賛同の声に包まれます。しかし、タンホイザーは欲望に目を向けない愛など所詮はきれいごとに過ぎないという趣旨の歌で反論すします。 このやり取りに怒りを隠しきれないビーテロルフが進み出て「さあ、俺たちと闘うがいい! お前の言葉を耳にして誰が平静でいられるか!」と怒気を込めながら、気高い愛の尊さを歌います。伴奏にトランペットやティンパニが加わり、彼の気性の激しさとタンホイザーに対する敵意が表現されます。「怒りっぽいお前が愛など歌うのか? お前の考える愛など、俺の享楽の対象にもならない」とビーテロルフを扱き下ろします。一同の怒りが一層高まり剣を抜いてタンホイザーに斬りかかろうとする者まで現われたため、ヴォルフラムが進み出て皆の怒りを鎮めようと「天よ、今こそ祈りを聞きとどけてください」と再び気高い愛について美しい旋律に乗せて歌います。これに対してタンホイザーは、まるで何かにとり付かれたように恍惚となって、ついに「ヴェーヌスを讃える歌」を歌ってしまいます。タンホイザーがヴェーヌスベルクにいたことが一同の知るところとなり、照明が反転して大きな衝撃が走ります。婦人たちは逃げ出し、騎士らは剣を抜いて「地獄の沼に送り返してやれ!」とタンホイザーを殺そうとします。「やめてください!!」とエリーザベトの悲鳴にも似た叫びで、大混乱が一瞬にして鎮まります。


「私は死など恐れない」と林立する剣の前に立ちはだかったエリーザベトは敢然と言い放ちます。「彼から永遠の救いを奪うつもりなのですか! 彼を裁くべきは残酷なあなたがたではありません。清らかな乙女の言葉に耳を傾けてください! 私の言葉を通して、神のご意思を聴き取りなさい!」 人が変わったようなエリーザベトの姿は、『神々の黄昏』終幕のブリュンヒルデに通じるものがありました。現世の人間を超越し、神聖な存在へと変貌しているかのようです。身を挺して自らの命を救おうとするエリーザベトの言動に激しく心を揺さぶられるタンホイザーの心の動きは、ヴィオラによる強い拍と弱い拍の位置を通常と変えて、リズムに変化を与えた刻みで表現されている。このくだりでのこれらの音型はすべてタンホイザーの心の声と捉えることができるはずだ。第2場では、タンホイザーの心中を表現した音型は半拍目から始まっているもののすべて8分音符であり、比較的安定しているのに対して、この場面では節の強拍と弱拍のパターンを変えて独特の効果をもたらすような不安定なリズムとなっていて、タンホイザーの心理的動揺の大きさが表されています。それが最高潮に達した時、ヴィオラにヴァイオリン、チェロが加わり激しい刻みに導かれます。「なんて俺は情けない奴なのだ!」タンホイザーはと初めて後悔の念を口にします。ここからは重唱と合唱による伝統的なアンサンブルが展開されていきます。この間、ヴィオラはタンホイザーの気持ちを表わす不安定なリズムの刻みの音型を繰り返します。


領主ヘルマンはタンホイザーをヴァルトブルクから追放することを宣言し、エリーザベトは神に赦しを願って祈ります。そこに若い巡礼たちの合唱が聞こえてきます。ローマに赴いて贖罪を果たそうと決意したタンホイザーは「ローマへ!」と叫び、巡礼の列の後を追っていきます。タンホイザーの「ローマへ!」の叫びの直前現われるヴァイオリンの旋律はタンホイザーの心を表現しています。場面は、ヴァルトブルクの山麓で秋景色に変っていきます。夕暮れの気配が漂う中、聖母マリア像の前でエリーザベトが一心に祈ります。

第3幕

第1場

ヴォルフラムが現われ、エリーザベトの姿に気付きます。「思った通りだ。彼女はここで祈りを捧げている」との言葉から始まるヴォルフラムの独白は、エリーザベトの苦衷を深く理解していることを表しています。「タンホイザーから与えられた死を胸に抱いて、昼も夜もあの男が救われるよう祈っている。ああ、聖なる愛のとこしえの力よ!」。静かで美しいオーケストラの伴奏が印象的です。そこへ遠くから巡礼の合唱が近付いてきます。



■第2場

密かにエリーザベトに心を寄せていたヴォルフラムですが、何としてもタンホイザーを救おうとの決意を胸に秘めた彼女の姿を見送り、エリーザベトの死が近いことを悟ります。エリーザベトが現世での苦しみから解放されて、天使の列に加わることができるように夕星に向かって祈り、竪琴を手に有名な「夕星の歌」を歌います。バリトンの音域でヴォルフラムが自らの内なる思いを穏やかに歌い上げるこの「夕星の歌」は「エリーザベトの祈り」と同様、声と旋律美がすばらしく、こだまのように主旋律を繰り返す弦楽器の伴奏も美しい音楽で、ワーグナーの楽劇にはなく、この時期の作品にしかないものです。

ヴォルフラムの親身な説得にタンホイザーも少し心を開き、「ヴォルフラムよ、聞いてくれ」とローマに赴き教皇に謁見した巡礼行の顛末について語り始めます。ヴィオラとヴァイオリンによる「悔恨の動機」に導かれて始まるタンホイザーの長いモノローグ「ローマ語り」です。タンホイザーの独白は言葉と音楽が密接に連関し合いながら進んでいき、何度も繰り返される「悔恨の動機」をはじめいくつかの断片的旋律は、ライトモティーフと同じ役割を果たしており、「ローマ語り」は楽劇的手法の"先取り"ともいうべき先進的な作りとなっています。


タンホイザーは、天使・エリーザベトのため謙虚に贖罪しようとの決意を胸に厳しく辛い行程をものともせずローマを目指しました。ローマに辿り着き、多くの巡礼たちとともに聖なる場所に進み出て、ひれ伏して祈りました。鐘が鳴り響き、聖なる歌が空から降ってきた。「恩寵の動機」神の代理人たる教皇が姿を現し、群集はさらにひれ伏しました。教皇は数千人の人々の罪を赦しました。自分も教皇の前に進み出て情欲に溺れたおのれの罪の赦しを願いました。「悔恨の動機」願いを聞き終えた教皇は、タンホイザーに対して「ヴェーヌスの洞窟に逗留したなら、永劫の罰が与えられる。地獄の業火から救われることはあり得ない」と宣告しました。金管楽器とティンパニが「呪いの動機」を強奏します。タンホイザーは絶望のあまり気絶し、目が覚めると遠くから慈悲の歌声が聞こえてきました。「恩寵の動機」タンホイザーは自暴自棄になりヴェーヌスベルクを目指して流離ううちに再びヴァルトブルクに戻ってきてしまった。


自分の言葉に興奮を抑えきれないタンホイザーが「ヴェーヌスよ、お前のところに戻るぞ!」と絶叫すると、たちまちあたりに妖気が漂い、ヴェーヌスが姿を現します。「戻ってきたのね、不実な人。」と歌い、オーケストラはヴェーヌスベルクを表現した旋律を奏でます。ヴェーヌスのもとへ行こうとするタンホイザーを必死に引き止めるヴォルフラムは「ひとりの天使がお前のために祈った。やがて祝福をしながらその魂がお前の上を飛ぶだろう。エリーザベトだ!」と叫びます。男性コラールがエリーザベトの昇天を告げます。タンホイザーは「エリーザベトよ!我がために願え!」の叫び息絶えます。救済を表わす若い巡礼たちの合唱とともにまくがおります。




参考文献:

音楽之友社(編)スタンダード・オペラ鑑賞ブック〈4

      ドイツ・オペラ〈下〉 音楽之友社 1998

リヒャルト・ワーグナー, 三宅幸夫翻訳「タンホイザー」2012                       五柳書院

東京・春・音楽祭-東京のオペラの森 講座「タンホイザー」 2011





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by desire_san | 2019-02-14 15:20 | オペラ | Trackback | Comments(8)
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Commented by Keiko_Kinoshita at 2019-02-15 15:57 x
メト・ライブビューイング・アンコールの公演から、ワーグナー作曲の歌劇「タンホイザー」の公演を観に、銀座・東劇に行きました。 演出は、オットー・シェンク。この人の、「ニーベルングの指環」を見たことがありますが、実に原作に忠実で、かつ豪華。以前も少し書きましたが、ちょっと前までのアメリカ人の好んで見ていた演出です。この公演のMET上演日は2015年10月31日ですが、2年前でもこのような伝統的な舞台が上がっていることがメトらしいです。ここまで徹底して原作に忠実な舞台を作り出そうという努力は素晴らしいと思います。2幕などは、メトらしくとても豪華な舞台、衣装もきらびやかで、このオペラの「本当の姿」を見ている気になりました。
Commented by Haruna_Takahashi at 2019-02-15 16:20 x
私も、この舞台を見ましたので、ご感想に大変共感いたしました。官能の世界に住む女神「ヴェーヌス」役のエレナ・ツィトコーワが妖艶な歌声を聴かせ、女性として最も魅力的で表現力も豊かなでしたね。エリーザベト役のミーガン・ミラーは、汚れなきお姫様がタンホイザーのために命をささげるという役を、声量豊かで舞台がさっと明るくなるような華やかさをかんじましたね。タンホイザーは、ヴェーヌスの世界に耽溺したことが知れて人々から激しく糾弾され、罪を許されることはないという幾重にも重なり合うコーラスが、この世の生きにくさを感じさせました。絶望したタンホイザーが再びヴェーヌスを呼び寄せようとする場面は人間的で、状況も意識もどんどん混乱し、タンホイザーが救済されることはない、寓意を含んだ大きな物語が与えてくれる満足感を味わえました。

なぜ汚れなきお姫様エリーザベト役がタンホイザーのために命をささげたのはなぜか分かりませんでしたが、dezireさんのご説明は説得力を感じました。当時のドイツではそういう選択肢しかなかったのかも知れませんね。

Commented by desire_san at 2019-02-15 20:55
Keiko_Kinoshitaさん MET・ライブビューイングのご紹介ありがとうございます。

METの舞台はさすがに世界レベルですばらしいですね。
私は新国立劇場の生の舞台を好んで見ていましたが、時々現代演出の個性的な演出で観たものは、MET・ライブビューイングで見直したりしています。
METの演出は、たいてい原作を重視したオーソドックスな演出で、歌手のキャストなど音楽的4レベルの高さで勝負しているので、ハズレがないので、いいですね。

Commented by desire_san at 2019-02-15 21:06
Haruna_Takahashiさん  コメントありがとうございます。

歌手はコメントいただいたように、非常に良かったですね。

エリーザベトの気持ちは、正直私なりに考えてみましたが、まだよくわからないことがあります。エリーザベトとタンホイザーは愛し合っていたような気がしないのです。エリーザベトがタンホイザーは愛していなかったなら、なぜ彼を救済すするために死ぬという選択をしたのか、やはり理解できませんね。死後の世界を信じていない私には理科水ることは無理なのかもしれませんね.



Commented by Merdia_tekre at 2019-02-19 21:49 x
レポート拝見しました。 第1幕のヴェーヌスが登場するまでのバッカナールの部分が長すぎ”という点は、演奏次第だと思います。エロくて魅力的で楽しく浮き立つような音楽を飽きるほど聴かされることでタンホイザーがヴェーヌスのもとを去ろうとする心情が観客にも伝わる。そしてその後の清廉な牧童の歌と宗教的な巡礼の合唱の素晴らしさが引き立つという設計ではないかと思います。そういう意味ではあのダンスとフィッシュの作る音楽は全くダメだったと思うのです。ヴェーヌスベルクのダンスの振り付けと、バックの音楽は仰るとおりエロティシズムの欠片もない無味乾燥で退屈なもので、これではハインリッヒがなぜこの世界に嵌まったのか全くわからないし、マリア!と叫んだあとの清廉な世界との対比を感じられず失望しました。ただ、歌手たちと、それを伴奏するオケの管楽器奏者一人一人の技量が立派だったので、特に三幕は仰るとおり、聴きごたえがありましたね。
Commented by Wagnerian at 2019-02-19 22:00 x
アッシャー・フィッシュは、バレンボイムの愛弟子で、イスラエル・オペラの音楽監督、シアトル・オペラ首席客演指揮者で、ワーグナーに定評があり、「ニーベルングの指環」を高品質で録音したCDも高い評価を受けているようです。バイエルン国立歌劇場で5つのオペラの指揮を任されているバッハラー総裁がウィーンのフォルクスオーパーの監督を務めていたとき、フィッシュは首席指揮者となり。ウィーン・フォルクスオーパーでは、2000年まで音楽監督を務め、オペラ指揮者としてゆるぎない評価を受けています。オーケストラのメンバーたちに一番良い演奏をさせる方法すべてをバレンボイムから学んだそうです。真剣なリハーサルを重ねるタイプではなく、ほとんどリハーサルをやらなくても指揮をすることができることに美学を感じているそうです。今回の演奏はご指摘のように場面によって出来不出来があったように感じました。第1幕のヴェーヌスが登場するまでのバッカナールの部分は、ダンスの振り付けが品がよくない上、起伏がなく盛り上がりに欠けていたため、冗長に感じました。新国立バレエ団にせっかく出演してもらったのですから、ダンスの振り付けも新国立バレエ団のプロの振り付けに頼めば、もう少しマシなものになったように思いました。見ていて新国立バレエ団のダンサーが気の毒に感じました。
Commented by dd907 at 2019-03-12 16:32
こんにちは。ご無沙汰しておりました。
お元気になられたようでよかったです。
タンホイザーご覧になったのですね。
最近も聴きながら、雑誌「モーストリー」2月号のワーグナーの真髄を読んでいます。
私は「リエンツィ」という曲がダイナミックで大好きです。
Commented by desire_san at 2019-03-12 18:35
dd907さん コメントありがとうございます。

『リエンツィ』は、若き日のヒトラーがこの作品に強く影響されて政治を志すようになったという逸話のあるワーグナーの初期の大作オペラですね。
聴いてみたいと思いますが、上演される機会があると良いですね。

雑誌「モーストリー」2月号の「ワーグナーの真髄」の情報ありがとうございます。
私も早速買って読んで勉強してみたいと思います。