交響曲第九の革新的な先進性、「思想表現」としての音楽、交響曲で初めて声楽を導入
ベートーヴェン『交響曲第9番ニ短調』
Beethoven “Symphony No.9”

ベートーヴェン交響曲第9番は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは生涯を通じてシラーが 1785 年に書いた詩「歓喜の歌」を愛し、1793 年の書簡が示すように、ボン滞在中にこの曲を音楽にすることを計画していました。しかし、実際に完成するまでには30年もかかりました。音楽学者と著者は、この作品がベートーヴェンの中で 30 年間成熟したのか、それとも単純に古いアイデアを再び取り上げたのかについては、今なお議論になっています。
作曲の背景
フランス革命からわずか3年後の1792年、22歳のベートーヴェンは、シラーの詩『歓喜に寄せて』と出合い、深く感動し、この詩に曲を付けたいと心に秘め、約30年後の晩年54歳の時に完成・初演されました。
フランス革命に始まり、主役が王侯貴族から市民に変わる時代に心踊らせたベートーヴェンは、王や貴族や教会のために作られていたそれまでの音楽から離れ、市民のための生き生きとしたドラマティックな曲を多数生み出していきました。交響曲第3番『英雄』、交響曲第5番『運命』、交響曲第6番『田園』と名作が揃う交響曲のジャンルの集大成とも言えるのが最後の交響曲『第九』です。
交響曲第9番の楽曲分析
第1楽章:弦とホルンによるピアニッシモの神秘的な和音で始まり、そこにメロディーの断片が、正に無から何かが生じるようで、20世紀前半の大巨匠指揮者フルトヴェングラーは「宇宙の創生」と呼んだ、そんな雰囲気です。直後に、この断片は力強い主題として提示されます。中期の様式な英雄のドラマから終始激しさを持った楽章、最後は葬送の音楽となります。
第2楽章:ポリフォニーの多用し、宇宙的響きは後期の世界であり、中間部からテンポの速いリズミカルな音楽で、ティンパニが多用され「歓喜の主題」の雰囲気が少し現れます。
第3楽章:最も美しい第3楽章のカンタービレの世界は変奏曲形式によっています。後期様式ゆったりとして美しい音が折れ重なるようなで、陶酔的にすらなりますが、金管楽器などによるファンファーレによって一時中断します。
第4楽章:「恐怖のファンファーレ」と呼ばれる強烈な不協和音で始まります。その響きを受け、低弦(チェロとコントラバス)が訴えるようなメロディーを聴かせ、同じ旋律が後にバリトン(バス)歌手により歌われます。その歌詞はベートーヴェンが書いたもので「おぉ、友よ、このような音ではない!」という意味です。「恐怖のファンファーレ」に対し「不協和音はダメだ」、このやりとりがもう一度繰り返された後、次に現れるのはなんと1楽章の冒頭ですが。これもまた低弦により「このような音ではない!」と否定。「もっとこういう感じにならないのか」と言うかのようにちょっと演奏されるのが歓喜の歌に似ているような気もします。次に2楽章が現れ、これも否定。3楽章も現れますがもちろん否定。なんとここまでの音楽が全否定されてしまうのです。「では、これか」という感じで「歓喜の歌」の断片が登場すると、ついに低弦は否定せず「それだ!」という感じに応じ、いよいよ『歓喜の歌』のメロディーが低弦により奏でられます。次第に楽器は増え、賛同者が増えて幸せが世界中に広がっていくようです。
1楽章から3楽章までもベートーヴェンの集大成と言える見事な音楽です。それを否定までしてそこからさらに先に生み出したのが「歓喜の歌」というわけです。ベートーヴェンがいかに特別な思いで書いたメロディーであるかが伝わります。ここに否定の意味・秘密があったのです。『歓喜の歌』は、他の声部が加わり華やかさを増していきます。歌詞の内容は要約すると「誰か一人でも心を通わせる友がいるならば喜ぼう。神の下、喜びを共にしよう!」というものです。
その後、新たにシンバルとトライアングル、バスドラムが目立つトルコ風の行進曲が現れます。なぜ突然トルコなのは、ヨーロッパに限らない=「空間」を問わない=全世界的な曲、ということを示すため異国の音楽を取り入れたのではないでしょう。
その後、壮麗な『歓喜の歌』の合唱が入り、更にその後で、新たなメロディーが登場します。「抱擁せよ! この口づけを全世界に!」と歌われる「抱擁」の主題なのですが、なんと伴奏を伴わないシンプルな1つのメロディーです。しかも、教会で使われてきた神聖な楽器であるトロンボーンと共に。ここは厳粛というか神々しさがあり、曲の雰囲気がガラッと変わります。単旋律という古い音楽の形態を持ち出すことで、ここでは「時間」を問わない、つまり「未来」も含有する音楽に感じます。
その証拠にというか、この後では『歓喜の歌』とシンプルな「抱擁」の主題が同時に歌われ展開されます。ここに過去と現在の融合、時間の超越を感じます。その後、ソリストによる聴かせどころがあり大合唱で幕を閉じます。このように、時空を超えた、人類愛とも言うべき交響曲なのです。
これら最初の3楽章に対して第4楽章は、ベートーヴェンのこれまでの様式すべての統合となっています。それはシラーの頌歌「歓喜に寄せて」に若い頃から作曲したいと思っていたこと、青年時代からのベートーヴェンの理想、すなわち人類愛や自由などを希求していること、同時に家庭的な愛がかなえられなかったという挫折を乗り越えようと作曲したことなども関係しています。冒頭の「恐怖のファンファーレ」に続いて、最初の3楽章の主題が否定されて、「歓喜の主題」が現れ次第に高まってゆき、独唱、合唱が加わりますが、第4楽章の最も核心的な箇所は、2/3くらい経過したところでテンポが突然遅くなり、「互いに抱きあえ、もろびとよ! 全世界の接吻を受けよ! きょうだいたちよ、星の天幕の上には、愛する父が必ず住みたもう」と歌われるところです。
もっとも大きな違いは、第4楽章に“歌”が存在することです。それまで交響曲とは言葉で伝えるものではなく、楽器のみの演奏で構成されるのが当たり前でした。一方、歌唱を伴い、言葉で感情表現する音楽には“オペラ”がありますから、そのふたつが融合することはなかったわけです。当時、交響曲に歌が入るというのはタブーとされていたことで、さまざまな議論を巻き起こしました。
『歓喜の歌』について
『歓喜の歌』は、もともとドイツの詩人、シラーが、フランス革命後にドイツの学生に向けて書いた『自由賛歌(OdeAn die Freiheit)』が元になっています。政治的な圧力があり、これを書き直した『歓喜に寄せて(Andie Freude)』がベートーヴェンの心に刺さり、歌詞として書き直したものを交響曲に入れたのです。
『歓喜の歌』の“歓喜”には、ドイツ語で“Freude”(喜び)が使われていますが、これはもともと“Freiheit”(自由)という単語だったものを、シラーが政府の圧力を受けて書き直したものです。つまりベートーヴェンは歓喜ではなく、自由を表現したかったと考えられます。“喜び”を“自由”に変えて解釈すると、王様も庶民もみな同じ立場の人間である、という思想が見えてきます。
『歓喜の歌』は本来、“自由”を喜び“平等”を歌う歌詞だったのです。『だれもが平等である』ということを伝える歌なのです。当時、このような考え方はとても危険だとみなされていましたが、ベートーヴェンはどうしても言葉にしてそれを伝えたかった。そういう強い思いがあったからこそ、歌詞として用いたのだと思います。しかしそのせいで、第九は初演後22年にわたり再演されませんでした。なぜそんなタブーを犯してまで、ベートーヴェンは交響曲に歌詞を入れたのでしょうか?それは、「言葉でしか表現できない思想があったから」なのだそうです。
ベートーヴェンの生涯と歴史的意味
ベートーヴェンは壮年期に聴覚障害の発症による人生の危機を、数多くの不滅の傑作を作曲することなどを通して克服し名曲を作曲し続けましたが、1812年以降数年間、作曲上も私生活でも最悪の危機的状態にありました。「おまえは自分のための人間であってはならぬ、ひたすら他者のためだけに。おまえにとって幸福は、おまえ自身の中、おまえの芸術の中でしか得られないのだ―おお神よ! 自分に打ち勝つ力を与えたまえ、もはや私には、自分を人生につなぎとめる何者もあってはならないのだ。―こうして、Aとのことはすべて崩壊にいたる―」(1812年の日記)。Aはアントニエ・ブレンターノのことと現在では推測されています。ベートーヴェンにとって恋人は何人もいたでしょうが、その中でも特別な"不滅の恋人"と言われています。しかしアントニエは人妻であり、ベートーヴェンのアントニエと一緒に生活するという夢は1812年に崩壊しました。この後、ベートーヴェンの生涯で最大のスランプに陥りました。1818年以降には作曲も勢いを取り戻してきましたが、作品の様式は後期の作風へと著しく変化してきました。この晩年にベートーヴェンが取り組んだのは、ほとんどが弦楽四重奏曲やピアノ曲でしたが、その中で、合唱と管弦楽の融合した2曲の超大曲を作曲しました。その一つが『交響曲第9番』で、もう一曲は『ミサ・ソレムニス』です。
1823年から1824年にかけて1年余りで作曲された『交響曲第9番』で最大の特徴は、交響曲史上初めて合唱が加わっていることです。シラーの頌歌「歓喜に寄せて」については、ベートーヴェンはボンにいた青年時代から作曲する意図を持っていました。"苦悩から歓喜へ"はベートーヴェンだけでなく、人間の永遠の本質的課題です。ベートーヴェンは、この曲を作曲する7年前の1815年に次のような手紙を書いています。「無限の霊魂をもちながら有限の存在であるわれわれは、ひたすら悩みのために、そしてまた歓喜のために生まれてきているのです。また、優れた人々は苦悩を突きぬけて歓喜をかち得るのだ、と言っても間違いないでしょう」。『交響曲第9番』における「歓び」は、苦悩の克服だけではなく、音楽による共同体を通しての人類愛への希求、愛の歓び、生死を越えた存在(神、霊魂など)による歓びなどが歌われています。それは特定の宗教を越えた宗教的世界、死を越えた超越的・宇宙的世界であり、聴覚障害のために孤独な生活を余儀なくされた上、結婚などの家庭的な幸せを断念したベートーヴェンが人々に愛・音楽・生のすばらしさを歌い語り続けた曲といえると思います。
ベートーヴェンは音楽にメッセージ性を込めた。つまりは「思想表現」としての音楽という道を切り開きました。歌詞のある歌に思想を込めたのではなく、音楽そのもので思想を表現しようとした点で画期的でした。もっとも、どうしても音楽だけでは語れなくなり、最後の交響曲となる第九番では、合唱を導入しました。交響曲第9番があまりにも有名になったいまとなっては理解しづらいかもしれなませんが、交響曲に合唱が加わること自体が革命だったのです。
ヨーロッパの偉大なフリーメーソンの賛歌として、神格化として、毎年、1000人の歌手の合唱団と500人の強力なオーケストラで作品を鳴り響かせます。この考えは、1972 年に別の形で現実のものとなりました。欧州共同体のストラスブール閣僚評議会は、合唱のフィナーレからの抜粋を純粋に器楽バージョンでヨーロッパの国歌として指定することを正式に決定しました。ヨーロッパの偉大なフリーメーソンの賛歌として、神格化として、毎年、1000人の歌手の合唱団と500人の強力なオーケストラで作品を鳴り響かせます。この考えは、1972 年に別の形で現実のものとなりました。欧州共同体のストラスブール閣僚評議会は、合唱のフィナーレからの抜粋を純粋に器楽バージョンでヨーロッパの国歌として指定することを正式に決定しました。
参考文献
朝比奈 隆 (編)『交響曲全集』(音楽現代名曲解説シリーズ)
2000年、芸術現代社
ハインリヒ シェンカー (著), 西田 紘子, 沼口 隆 (訳)
『ベートーヴェンの第9交響曲 分析』2010年、音楽之友社
中川 右介 (著)『第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話』
2011年、幻冬舎
ロマン・ロラン (著), 片山 敏彦 翻訳)
『ベートーヴェンの生涯』1965年、岩波書店
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ベートーベンの影響を受けたであろう作曲家,シューベルト,シューマン,そして誰よりもブラームスが合唱付きの交響曲を作曲していません。ドイツ・オーストラリアの流れをくむ作曲家で交響曲に合唱を組み入れたのはマーラーくらいでしょうか。作曲家の多くは「交響曲にああいう形で合唱(独唱も含め)を入れるのは構成上,無理」と思っていたような気がするのですが。
・第4楽章の冒頭で,いきなり,第1~3楽章の主題が否定さするところ。これまで長い時間何を聞かせてきたんだと腹立たしい感じになります。
・歓喜の主題の陳腐さです。音楽評論家の中には第1~3楽章の主題の否定は,より良いものを出す準備だ,と言う人もいますが,それにしては歓喜の主題はなんでしょうか。歌いやすい,親しみやすいけれど,それ以上のものではないような気がします。第1,第3楽章の主題の方良いと思います。
・歓喜の主題のバリトンによる否定と,それにもかかわらず繰り返されるどんちゃん騒ぎ。歓喜の主題が低弦で出て,最後管弦楽でベートーベン的どんちゃん騒ぎになったとき,バリトンがいきなりこのテーネではない,朗々と歓喜の歌を歌います。そのあとまた結局はベートーベン的どんちゃん騒ぎに再び入ります。
その後,更に神の主題が出て歓喜の主題と掛け合うところなどさすがベートーベンと思わせますが,上記の三点の違和感がどうにも理解できません。
ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調」は、大指揮者フルトヴェングラーがこよなく愛し5つの録音を残し、
カラヤンも私の知る限り6つの録音を残しています。他に、エーリッヒ・クライバー、トスカニーニ、カール・ベーム、ショルティ、ハイティンク、バーンスタイン、最近の録音では、アバド、サイモン・ラトル、ワレリー・ゲルギエフ、マリス・ヤンソンス、シャイーなどの名演があるそうです。
クラシック愛好家へのアンケートにより集計された人気曲ランキングの人気曲TOP10の 1位 は、
ベートーヴェン「交響曲第9番ニ短調《合唱》」だそうです。プロの指揮者もクラシック愛好家も「ベートーベンの第九」を高く評価しているということでしょう。
私も、レポートにも書きましたように、音楽に「思想表現」を導入したむ革新的な先進性は凄いことだし、そのような難しさを一つの音楽にまとめたこの曲のすばらしさ、ベートーヴェンの偉大さは尊敬しています。
それは、先にレポートしたベートーベンのオペラ「フィデリオ」に共通するかと思います。
ベートーヴェンの交響曲で私が好きなのは、交響曲第3番、交響曲第7番、交響曲第6番
の順でしょうか。これは理屈ではなく、音楽の感性の問題で、説明しにくいですね。
交響曲に声楽をはじめて取り入れたのは「ベートーベンの第九」ですが、宗教音楽の世界では、バッハの「マタイ受難曲」『ヨハネ受難曲」「ロ短調ミサ曲」「クリスマスオラトリオ」、ヘンデルの「メサイア」という音楽的完成度が極めて高い名曲があります。また、ベートーヴェン以前から、モーツアルトが、音楽の変化や転換と声楽を絶妙に構成したオペラを作曲しており、モーツアルトと同じ時期に優れたイタリアオペラが存在したいました。
バッハの音楽やヘンデルの「メサイア」で名演を残したカール・リヒター、ウイレム・メンゲル、オットー・クレンペラー、アーノンクール、ガーディナー、イタリアオペラの巨匠、リッカルド・ムーティ、ネルロ・サンティなども、「ベートーベンの第九」の録音は見当たりません。
交響曲に声楽を取り入れた画期的な改革をしたのはベートーベンで、その偉大さは異論はないと思いますが、音楽ジャンルを広げてみると、また別の世界がみえてくると思います。
トーマス・マンもファウスト博士の中でベートーベンの後期の弦楽四重奏曲を絶賛する一方で,第九を否定していますよね。これは戦時中のユダヤ人としての感覚もあるでしょうが。こんなところだったわけです。
1)第九が作曲当時,破格のものであったという話は,その通りでしょう。小生は,それを現在,個人がどう感じて聴くかを問うているわけです。
2)指揮者の件ですが,
2-1)フルトヴェングラーは「ドイツ精神,ベートーベン崇拝」に浸っていた人で,類型には収まらないでしょう。
2-2)名曲とされるからチャレンジしてみた,売れるから振ってみた,という人も居るのではないでしょうか?下記の指揮者の中でシャイ―はライプチヒの監督に就任したとき,第9で無くメンデルスゾーンの賛歌を指揮しているのも何か引っかかります。昔々のメンデルスゾーンの本拠地だからかもしれませんが。
3)クラッシックファンも多くは年配で,少なくとも年配層は「楽聖ベートーベン」「第九は別格」(さらには「フルトヴェングラーは神様」と刷り込まれて育った世代なので,素直な人たちは違和感を感じないだけかもしれません。
例えばバッハ『マタイ受難曲』は、オーケストラと声楽が最も見事に融合していて、音楽としても、ストーリー性、感動的という点で最も優れていて、感動的な音楽作品です。ベートーヴェン以降では、ブラームス『ドイツレクイエム』がオーケストラと声楽の融合と協奏が見事です。
ベートーヴェンを尊敬し、ベートーヴェンを超える総合芸術を目指して作曲したワーグナーの「楽劇」も個人的な見解ですが、「ベートーヴェンの第九」を超えていると感じます。
その時代の政治的価値観で否定されることはあると思いますが、それは芸術的的価値と関係ないと思います。
天皇が神とあがめられていた時代に、海軍で出征する前に、音楽を愛する出陣学徒たちが「マタイ受難曲」を涙ながらに合唱して戦場に向かったという事実があることを知り驚きました。出征を前にした青年が「マタイ受難曲」を聴いて受けた感動は想像を絶するものがあったと思います。「罪深い存在であることを自覚し、自分の罪深さと向き合いながら生きる」「受難の中に復活がある」
というバツハがこの曲に込められた思いが、歴史の時間を超えて伝えられ続けているということをでしょうか。

