スペインの歴史の中で変貌していった画家・ゴヤの生涯と魅力
ゴヤ・光と影
Goya, light and shadow

フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(1746 -1828年)は18世紀後半から19世紀初頭にかけてのスペインで、最も重要な美術家といえます。美術史においては"最後の古典巨匠"であると同時に"最初のモダニスト"と解説され、最も偉大なモダニズム肖像画の一人ともいわれています。また、キリスト教美術や伝統的な戦争の分岐点となり、絵画内容、表現、感情的な力は戦争の恐怖を人に伝える最も革新的な現代戦争画を確立ました。
ゴヤは時代的には18世紀後半のロココ時代に相当します。ロココ美術はワトー、フラゴナール、パーテル、ランクレ、ブーシェに代表されるように、愛をテーマにして、その時の雰囲気を大切にして、曲線美による華美な美しさを尊びました。当初はタピスリーの下絵を描く仕事から身を起こしたゴヤは、宮廷画家となったことで名誉と財産だけでなく、王室の誇る西洋美術の名だたる巨匠たちをその目で見る機会を得たことで多くのことを学びました。
宮廷画家として認められる前タペストリーの原画を描いていたころのゴヤの作品は、眩いばかりの光を浴びてのびのびの人々を描いています。『日傘』はその時期の傑作で、若い男女が日の光を浴びている姿を巧みに表現していて明るい色彩感覚も見事です。『木登りをする子供たち』の子供たちの生き生きとした動きの表現も躍動感があります。私は「着衣のマハ」のような特別な作品を除くと、この時期のゴヤの作品が一番好きです。
ゴヤ『パラソル(日傘)』1777年 プラド美術館蔵

エル・パルド宮の皇太子夫妻の食堂を飾るために描かれました。当時の流行の衣服で着飾った若い娘が膝の上に黒い犬をはべらせ草の上に座っています。それをそっと後ろから若者が日傘を差し伸べ日陰を作っているという微笑ましい情景です。当時の流行の衣服で着飾った若い娘が膝の上に黒い犬をはべらせ草の上に座っています。それをそっと後ろから若者が日傘を差し伸べ日陰を作っているという微笑ましい情景です。外光を鮮やかな色彩と強い明暗で見事に表現しています。少女は伝統的な風俗を好む“マハ”(粋な女の意味)とは対照的に流行のフランスかぶれのペティメートラとして描かれていて、虚栄の象徴という見方もあります。
ゴヤの絵画『木登り』1791年

木に登る少年は、エル・バランシンとラス・ギガンティラスの仲間であるオーバードアです。画像では、木に登ろうとしている 3 人の男の子が見えます。この構成は、1778 年にエル パルド宮殿の王子のダイニング ルームを飾ったシリーズのために作られたオーバードアである、ゴヤは、空間は、平面ではなく、人物そのものとその位置によって表現されています。画像がより鮮明になり、過密状態が回避されます。トムリンソンはこの絵を、フランス革命後にスペインが被った政治的不安定を表したものと解釈しています。ゴヤはこれらのロココ時代の作品とは別の世界を歩みました。ゴヤは伝統に囚われることなく独自の世界を展開し、近代を予感させる芸術家でもありました。そこには、ゴヤが宮廷画家として仕えたペインのブルボン王朝とスペインの歴史によるところが大きいと思います。18世紀から19世紀にまたがる動乱の時代、スペイン宮廷画家として活躍したフランシスコ・デ・ゴヤは独創的な作品を描きました。
ゴヤ『キリストの磔刑』1780年 プラド美術館蔵

サン・フェルナンド王立美術アカデミーへ入会のために描いた作品です。同時に提出された自薦状には『磔刑のキリストを描いた私の創意工夫による独創的作品』と記されていましたが、一見すると素直に伝統的な描法で描かれています。天を仰ぎ苦悶の表情を浮かべたキリストが、3本の釘ではなく4本で張り付けられているという点でベラスケスの作品を模していると言われています。全会一致でゴヤは会員に推挙されました。
ゴヤはスペインのブルボン王朝に才能を認められて宮廷画家として登り詰めましたが、その時代スペインのカルロス4世とマヌエル・デ・ゴドイの寵臣政治、ナポレオンの侵攻、独立戦争、フェルナンド7世の反動政治など混乱期にあたり、政治の混乱と戦争にゴヤの
運命は政治に翻弄されました。ゴヤの絵画も政治の歴史の変動の中で変貌をとげていきました。
ゴヤ『魔女の飛行』1798年

多くの中世ヨーロッパ人が持っていた魔女の概念を描いています。魔女は裸で夜行性です。彼らは空を飛び、赤ちゃんを殺し、人間の肉をむさぼり食い、夜の動物と交際し、悪霊と共謀します。その奇妙さと特殊性にもかかわらず、これらの特徴は中世ヨーロッパの魔女に限定されたものではありませんでした。トリンギット (太平洋岸北西部)、アカン (西アフリカ)、トロブリアンド島民 (南太平洋) を含む世界中の人々が、魔女について同様の概念を持っていました。
ゴヤ『魔女の集会』1794~95年 ラサロ・ガルディアーノ美術館蔵

オスーナ公爵夫妻のために描かれた魔女を主題にした6枚の作品のうちの一枚。ゴヤの奇想な想像力が発揮された作品です。現実味ある人物たちと非現実的な雰囲気の組み合わせはすでに『黒い絵』を予感させています。ゴヤは1794年に11枚の作品を描き病気に苛まれながらイマジネーションに発露を見出し注文画では許されない自由気ままな創作しました。牡山羊は悪魔の象徴であり魔女集会の司会者です。それを囲むように魔女たちが幼児や嬰児をそれぞれ持ち寄り空には不気味にコウモリが飛んでいます。ゴヤは版画を含め多くの作品で夜になると子どもたちをさらうと信じられていた魔女を描いています。そうしたことから魔女信仰に個人的にも画家としても興味を引いたのかもしれません。
スペインのカルロス3世は、先代のフェルナルド6世には子供がなく、その異母弟のカルロス3世が王位を継承しました。カルロス3世は帝国の拡張のためアメリカ大陸に富を浪費してしまった歴代の王と異なり、国内の産業を保護育成し、スペイン国内に目覚ましい経済発展をもたらしました。しかし自由主義経政策は資産家の食糧投機や買い占めを誘発し、食糧濃穀物の暴騰を引き起こし、都市などで暴動が誘発しのした。啓蒙君主であるカルロス3世は改革政策を打ち出し、その跡をついたカルロス4世も即位当初は啓蒙改革を推進しようとした。その時期ゴヤは抜擢されてカルロス4世の宮廷画家となりました。
宮廷画家になった当初ゴヤは得意の絶頂にありました。カルロス4世も啓蒙改革を推進しようと意欲を燃やしていたころで、カルロス4世の肖像画は意欲に満ち精悍な青年で生き生きとした眼をしていて、王の栄光をたたえるような作品に仕上がっています。ゴヤは希望に満ちて高揚する気持ちに筆使いが冴えわたり、宮廷画家として意欲的に制作活動に励みました。今回の美術展ではこの頃の油彩画がたくさん来日していました。「ボベリヤーノスの肖像」はこの頃の代表作です。
ゴヤ『カルロス4世の家族』1800-01年 マドリード プラド美術館蔵

しかし、ゴヤが仕えたカルロス4世は世間知らずで人を疑うことを知らない善良で新人深いお坊ちゃん国王でした。王妃となったマリア・ルイサは権力欲の強い、見坊術策にたけ、病的ともいえる男狂いの性格をもつ女でした。18歳の近衛兵士マニエル・ゴドイを見初め愛人として、弱冠25歳で宰相に抜擢させ、彼に独裁的な全権を握らせてしまいました。もはやマリア・ルイサにコントロールされる遇鈍な国王でしかなくなってしまつたカルロス4世と愛人マニエル・ゴドイとの間に1男1女をもうけていたマリア・ルイサを描いたゴヤの代表作「カルロス4世の家族」は宮廷社会の無気力、虚名と頽廃という王室の人々の現状をありのままに描き、自分を不気味な姿で描きこんでいます。46歳で聴覚を失う試練もあり、ゴヤの気持ちは宮廷から離れていました。しかし聴覚を失ったゴヤの目は研ぎ澄まされていきます。
ここに描かれた13人全員が正装し、勲章や煌びやかな宝飾品で飾り立てられています。この何気ない家族の記念撮影的な作品で重要なのは、通常王侯貴族たちの肖像を描く場合、理想化して描かれますがゴヤはこの常識を覆しました。まず最高権力者であるはずの国王を押しのけて王妃のマリア・ルイーサが中央に立ち、その表情はしたたかで傲慢な性格が如実に表れています。その横にいるカルロス4世は沢山の勲章で飾り立ててはいますが表情は虚ろです。そして絵の端の方でゴヤ自身が煌びやかな貴族たちを冷ややかに見つめています。しかしそこにゴヤの風刺や悪意があったのかは分かりませんが、また描かれた本人たちは『とても上手に描いてくれた』といたくご満悦だったと言います。しかしそれらはみな崩壊していくスペイン・ブルボン王家を予見しているかのようです。
ゴヤ『裸のマハ』1797~1800年頃 プラド美術館蔵

ゴヤの最も有名な作品で、服を着たバージョン『着衣のマハ』と対になっています。当時の王妃マリア・ルイーサの寵愛を受け若くして首相となったマヌエル・ゴドイの依頼によって描かれました。モデルはそのゴドイの愛人ペピータ・ツドォという説や、ゴヤの愛人とされていたアルバ侯爵の未亡人という説などあり確定はされていません。ゴドイは自宅の居間にこの作品とベラスケスの《鏡を見るヴィーナス》を並べて飾り、ごく限られた客たちのみに見せていたそうです。
ゴヤは宮廷画家として王室コレクションのなかでもとりわけ豊かなティツィアーノやルーベンスの神話的裸体画に触れ大いに影響を受けたであろうと思われます。『着衣のマハ』と比べるとこちらの方は髪をほどいていて表情も虚ろでありまたシーツが皺だらけであることから、情事の前後を想像させると言われています。後年ゴヤはこの作品が“卑猥”で“不道徳”として異端審問を受けることとなりました。
ゴヤ『裸のマハ』1797~1800年頃 プラド美術館蔵

『着衣のマハ』を単独の作品としてみると、社交界から身を引いたゴヤが女性の危険で優雅で官能的なスペイン伝統の伊達女(マハ)の人間性を見事に表現しています。この作品の前に立つと、マハに見つめられているような錯覚に陥り、絵の前から離れられなくなります。他の作品を見たから何度も『着衣のマハ』の前に戻り、延べ1時間以上この絵の前で時間を過ごしてしまいました。『着衣のマハ』は、作品だけとっても絵画史上に残る傑作だと思います。
ゴヤ『ドニャ・イザベル・デ・ポルセルの肖像』1804~05年
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

この肖像画は、1780 年頃にロンダで生まれ、アントニオの 2 番目の妻であったイザベル ロボ ベラスコ デ ポルセルを描いています。ポーセル。イザベルの夫は彼女より 25 歳年上でした。彼らは彼女が20歳のときに会いました。アントニオ・ポルセルは、自由主義者であり、平和の君であるマヌエル・ゴドイの仲間であり、ガスパル・メルチョル・デ・ジョベラノスの友人でした。近くに住んでいたゴヤと連絡を取りました。この絵は、もてなしの見返りにアーティストからの贈り物だったと言われています。アントニオポーセルのゴヤの肖像画は、1953 年にブエノスアイレスのジョッキー クラブが暴動で破壊されたときに、はるかに大きく、一致する作品ではありませんでしたが、火事で失われました。
半身像は、典型的なスペインの服装、白いシャツ、黒いマンティラを着た若い女性を描いています。彼女の「マジャ」の服装にもかかわらず、織物の豊かさと淑女のような外見は、この絵に貴族的な優雅さを与えています。下層階級の都会のダンディとそれに相当する女性のスタイルをよく着ていました。
腰を下ろした腕の決定的なジェスチャーと彼女の自信が際立っています。彼女の目と髪は明るい茶色で、肌は青白く、体はわずかに左側を向いており、頭は反対側を向いてバランスを取っています。ゴヤは、構成に二次的なオブジェクトを追加することなく、リアリズムと深みを実現します。この絵のユニークな点の 1 つは、女性が視聴者の左側を向いていることです。これは、ゴヤのほとんどの絵画がそうであるように、視聴者の方ではありません。
ゴヤ『バルコニーのマハたち』1808 ~ 1814 年

この絵は、身なりのよい 2 人の女性、「マハス」、レースのマンティラを含む精巧な衣装を着た美しい若いスペインの娼婦を描いています。バルコニーの手すりの後ろに座っている 2 人の男性が後ろの影に目立たないように立っています。またはクライアント。前景の女性の明るい色と豊かな装飾の服と、背景に潜んでいる男性の地味な重い服との間に強いコントラストがあり、暗い帽子とマントが特徴を隠しています. この絵は厳密な幾何学的構成をしており、欄干の上部が場面を 2 つの領域に分けています。手すりの上部は、人物の位置が測定される正方形の対角線も形成します。手すりのピラスターは正方形の下半分にあり、女性は上部から形成された三角形で互いに寄りかかっています。正方形の半分。手すりの上の領域の構成は、別の正方形の 4 つの等しい象限に分類されます。
スペイン王室がこのような状態の時、周辺の世界ではフランス革命が勃発し、させにナポレオンの時代となった。スペイン王室の権力争いから、息子のフェルナルドが王位を奪いフェルナルド7世が即位しました。ナポレオンは復権をねらうカルロス4世をうまく利用し、カルロス4世が王位の諸権利をナポレオンにまかせることを条件に、フェルナルド7世にカルロス4世への王位返上をさせてしまつた。こうしてスペインは事実上ナポレオンの支配下になりました。其のあとスペインの王位はナポレオンの兄ジョセフにまわってしまいました。ナポレオンはマドリッドにいた王族をパリに移るように命令しました。
しかし、5 月 2 日、マドリッドでフランス人の血が流れる民衆蜂起が始まります。翌日、軍隊は報復を要求します。ナイフを持っている人は誰でも逮捕され、裁判なしで死刑を宣告されました。処刑は午前 4 時に、ゴヤがこの作品を設定したプリンシペ ピオ山など、市内のさまざまな場所で行われました。
ゴヤは、現実には、フランス人とそのリベラルな考えが、迷信や定着したスペインの腐敗に対して進んでいると考えていました。スペインが近隣諸国と同様の変化を遂げることを望んでいたため、彼はフランスの侵略の前に困難な立場を維持した理由です。
しかし、ゴヤは1808 年 5 月にフランス人が同胞をどのように扱っているかを目撃し、宮廷画家としての地位を確保する代わりに、いくつかの絵でフランス人の野蛮性を非難することにしました。 .1814 年、フランス人はスペインから追放され、ゴヤはその夜に見たものを、すでに独立戦争の英雄と見なされていた犠牲者へのオマージュとして描きました。フランス化の疑いをかけられたゴヤは、このような作品でアーティストがどちらの側にいたかを明確にしています。
マドリッドの暴動と強権による鎮圧からスペイン中に反仏運動がおこりました。25万の兵力をつぎ込み鎮圧を図るフランス軍に対し、スペインの人々は4~5万人、ゲリラ戦で挑むしかありませんでした。たくさんのスペイン人が惨殺されました。
フランシスコ・デ・ゴヤ『5月3日の処刑』1814年

この時、マドリッドに反仏暴動勃発しました。暴動はフランス軍に鎮圧され、数100人が銃殺とれました。身も凍るようなリアリズムで出来事の極度の暴力と残酷さを描写しています。このシーンでは、3 つのグループを区別することができます。血だまりの中で死んでいる人々、撃たれている人々、順番を待っている人々です。勇気、恐れ、諦め、絶望など、さまざまな感情を表しています。無名の英雄が腕を広げ、白い服を着て無実を宣言し、ランプの光が彼に降り注ぎ、すべての光を吸収します。ゴヤは「プリシペ・リオの丘の銃殺」で銃殺の様子をリアルに描き、両手を上げて銃殺に抗議する男をイエス・キリストのように描いています。
一方、フランス人には顔がなく、一枚岩の死の機械です。この作品で、ゴヤは同じ世紀のロマ ン主義(人々とその志の卓越性、暗い雰囲気...) と印象派(動きの父であるマネに影響を与える緩い筆遣い) 2 つのスタイルの前例にもなりましてた。この絵画は「現代美術」の最初の作品となりました。この仕事は将来も有効性を失うことはありませんでした。南北戦争中、ピカソはこの作品に明確に基づいて、有名な『ゲルニカ』を描きました。
ナポレオンはスペイン全土を制圧しましたが、オーストリア戦線の悪化、ロシアとの戦争で兵力を向けた後、スペイン民衆の独立運動などによりフランス軍はスペインから撤退することになります。
フランス撤退後はフェルナルド7世の絶対君主制復活、クーデターによる自由主義政権の成立、フェルナルド7世の復権による激しい弾圧など政治の混乱が続き、これがスペインの国力の弱体化につながっていきます。
ゴヤは宮廷画家から民衆の苦しみや人間の苦悩を描く画家に変貌していきます。宮廷画家時代も人間の本性を残酷なまで克明に表現していたゴヤは、ナポレオンの侵略とその後の政治的混乱という不幸を経験することにより宮廷画家から偉大な風俗画家に変貌します。このころ「わが子を食らうサトリニス」「巨人」のような作品を描きスペインを覆っていた闇を表現しました。
ゴヤの絵画『わが子を食らうサトリニス』

ジュピター(ゼウス)の父であるサターン神(クロノ)が息子の1人をむさぼり食う子殺し/共食いのこのシーンは、彼が将来彼を倒してしまうのではないかと恐れていたからです。
ここでゴヤは神を恐ろしい狂気の表情で描いています。彼女は形のない塊、息子の血まみれの体を噛んでおり、それをしっかりと握り、指を肉に食い込ませています。プラド美術館で息子をむさぼり食う他の土星と比べると、息子の体はすでに大人ですが、このゴエスクの野蛮さ。サトゥルノは、これを見ることで人間の最も深い恐怖を深く掘り下げることができる視聴者である私たちと同じくらい恐ろしいです.
この作品はさまざまな読み方で見ることができます。歴史的・政治的に、おそらくゴヤはスペインの暗黒時代(絶対主義、自由主義の三年間、不吉な 10 年...)について語っているのかもしれません。おそらく、土星は君主フェルディナンド7世が彼の人々をむさぼり食っていることを表しているか、あるいはおそらくそれは人々が自分自身、その未来をむさぼり食っていることを表しています。
もうひとつのこの作品の読み方は、ゴヤが苦しんでいた鉛中毒という病気の恐ろしさを表しており、最終的に彼は耳が聞こえなくなりました。精神分析の狂った人々は常にそこにいて、土星に親子の関係と対立の完璧な例を見ています。また、この年老いた神様の姿は性的不能と密接に関係しています。モンスターが息子をむさぼり食う間、勃起したペニスを持っていたという伝説が多かれ少なかれ確認されていますが、この部分は壁画の劣化またはキャンバスへの転写中に失われました。おそらく、共食いのイメージが十分に恐ろしいものだったので、画家は自己検閲した. この絵は彼の家を飾るために描かれたものでしたが、70 年後、聴覚障害者のための別荘の新しい所有者が、プラド美術館の主要な美術修復家であるサルバドールマルティネス キュベルスの指揮の下、絵をキャンバスに移しました。
それは恐ろしく、非常に暴力的で、暗いイメージです。光のコントラストが濃い色の染みによって生み出されています.ゴヤと同じように、彼は芸術の歴史の数年先を行っており、現代美術を直接制作しています。 前衛よりずっと前の純粋な表現主義。あらゆる面で非常に現代的な芸術です。
ゴヤ『巨人』1808-1812年、プラド美術館

巻く恐ろしい現実を描写する明快な年代記者. 「黒画」の表現主義ゴヤです。この一連の絵画の前奏曲は、1810 年から 1812 年頃に制作され、プラド美術館に保管されている『巨人』(「巨像またはパニック」)と題された作品です。
この謎めいた、間違いなく今でも戦争の悪夢を捉えている作品は、そのテクニックと雰囲気を通して、画家の人生の最後の年に最大の表現力のポイントに到達するであろうビジョン表しています。この作品の真の意味とテーマの意図はまだ不正確です。無力な人類の前に巨大で恐ろしい何かが立ちはだかり、それを飛ばします。無知と無意識のイメージであるロバだけが、じっとしています。
巨人の複数の解釈と意味が明らかにされています。ナポレオンへの言及を見たい人もいれば、戦争、飢餓、残酷さ、または単に未知への恐怖の象徴を見たい人もいます。いずれにせよ、この絵は近年のゴヤが9人という陰鬱な世界を私たちに教えてくれます。それとは対照的に、ヘラを使った軽い具材と力強い筆使い、見事な現代性を備えた繊細さと実行の知恵も明らかにしてくれます。この絵は、1930 年にフェルナンデス デュランの遺贈とともにプラド美術館に収蔵されました。
ゴヤ『戦争の惨禍』版画

版画『戦争の惨禍』で殺戮、暴行、狂気、虚無感を徹底的に描き、「カプリチョス」で人間の真実と本性をニヒリズムに視覚化しました。当時のスペインを暗澹と支配していた虚無感も含めてリアルで克明に芸術作品として現在に残しています。『戦争の惨禍』はおびただしい死体が重なり合って散乱する風景など、写真であったら残酷で観ていられないような作品ばかりですが、ゴヤは積み方なる死体をも造形的に表現し、美術作品として存在感を示しています。

『闘牛士』のシリーズの版画でもゴヤの造形力は冴えわたっていました。
ゴヤ展は、1971年に「着衣のマハ」と「裸のマハ」の両方プラド美術館からが来日して国立西洋美術で開催されて以来で、40年ぶりにゴヤのたくさんの油彩画を東京で観られる機会となりました。今回の美術展ではゴヤの作品では珍しい宗教画「無原罪のお宿り」「荒野の若き洗礼者ヨハネ」も展示されていました。しかし「無原罪のお宿り」はムリーリョの優美な心温かさをもち、天に浮遊するような傑作を見ており、「洗礼者ヨハネ」カラヴァジョの強烈な印象の作品を見ていたため、あまり印象に残りませんでした。ゴヤの作品のほぼ全貌を理解できる充実した美術展でしたが、なんといっても最大の魅力は「着衣のマハ」でした。(2011.1.17 国立西洋美術館)

