高い芸術性と感情を揺さぶる演劇性、ロマンティック・バレエの傑作
バレエ『ジゼル』
Ballet"Giselle"

「ジゼル」は、ハインリッヒ・ハイネが紹介したオーストリアの民話をヒントにフランスの詩人、ゴーチェが体本を描きおろし、アダンが作曲したロマン主義時代に制作されたロマンティック・バレエでの傑作で、現在でも制作当時のまま上演されています。英国ロイヤルバレエではジゼル心理的な深みがあり、社会階級、愛、裏切り、絶望、許し、償いのテーマを探求しています。現代でも共感できる詩情、純潔、知性、信頼、勇気の要素のある作品、力強いメッセージを伝えます。
The music of Adam's ballet "Giselle" impresses us with the richresonance, chords and melodies of the orchestra, and the splendid harmony.Introducing the charm of the ballet "Giselle".
アドルフ・アダン、この華麗で楽しい作曲家は、素晴らしいダンスチューンを作り、大成功を収め、オーケストラから立ち上る豊かな共鳴を聞くと、まばゆい、芸術は常にこれらの和音、メロディーが形を華麗で織り。捕われの身の闇から解放するハーモニーは音の光です。光線と炎に専念し音楽を秘密に求めたように、情熱を持ってハーモニー強い仕事不思議なで奇妙な独自の感動を私たちに提供してくれます。
今回の新国立劇場の舞台は、吉田都・舞踊芸術監督の演出デビューとなる『ジゼル』を新制作で上演しました。吉田都さんは、「サー・ピーター・ライトの『ジゼル』で育ち、若いときから主役を踊り一から教えて頂いた大切な作品で、原型を留めたままこれだけ長く踊り継がれている演目は少なく、それは作品にいまでも共感できるメッセージが込められていると感じていました。『ジゼル』に吉田都さんが求めているのは、英国ロイヤル・バレエ団という舞台・音楽的にも、同じバックグラウンドで同じ風景を見てせることでした。演技をすること、踊ること、衣裳から舞台装置に至るまで、イングリッシュ・スタイルを正統に受け継ぎながら作品を作っていくことが明確なゴールのようです。ジャン・コラリ / ジュール・ペロー/マリウス・プティパ、演出は吉田 都さんよる第1幕の昼間の森の場面の明るい美しさと第2幕の夜の場面の幻想的美しさと対照が見事でした。
第1幕
中世のラインラントの村での収穫の頃の牧歌的な風景。農民の少女ジゼルが、卑しい村人(ロイズ)に変装した高貴な生まれのアルブレヒトと恋に落ちます。そんなある時、狩りに来ていたアルブレヒトの婚約者、バチルド姫の一行が村に立ち寄ります。バチルド姫は、初めて会った身分の低い村娘ジゼルに交感と親しみを感じ、首飾りを贈ります。その時、ハンスが、アルブレヒトが貴族の衣装や剣を隠していた小屋から見つけた剣を持ち出し、アルブレヒトの身分を暴きます。ルブレヒトは混乱するジゼルをなだめようとしますが、バチルド姫と公爵が現れると、アルブレヒトはバチルドの手にキスをします。それを見たジゼルは狂乱状態に陥り、心臓が弱いためそのショックのため母の腕の中で息絶えます。ジゼルとアルブレヒトとの一時の恋は、欺瞞、狂気、悲しみに終わります。

第 2 幕
ハインリッヒ ハイネの『ドイツについて』の一節に触発された、幽霊のような月明かりに照らされたウィリスの世界です。ウィリ族は失意のうちに死ぬ若い花嫁であり、多くは結婚式の日に見捨てられ、墓の中で安らかに休むことができず、男性を森に誘い込み、踊らせて死ぬまで復讐します。不貞の恋人に裏切られた少女の魂であるウィリスの世界はこの世にはない美しさです。女王、ミュルタは、アルブレヒトがジゼルを墓まで追わなければならないと決めました。彼女はアルブレヒトが疲れ果てて死ぬまで踊るように非難します。しかし、夜明けまで一緒に踊り続けたジゼルの精霊は、アルブレヒトが本当に後悔していると理解し、アルブレヒトを許し、ウィリスの女王であるミルタの怒りからアルブレヒトを救います。
吉田都演出の新制作『ジゼル』
新国立劇場バレエ団の新制作の『ジゼル』は、吉田都さんが演出を、アラスター・マリオットが振付を手掛けました。二人が所属していたロイヤル・バレエ団のピーター・ライト版『ジゼル』は第一級の演出ですが、このライト版を基本にしながら、オーソドックスな舞台で、オリジナリティも存在していて、確固たる説得力がありました。
新制作の『ジゼル』は、感動的なストーリー、輝かしい音楽、絶妙な振り付けの個性的な組み合わせにより、私たち聴衆の共感を誘います。楽しくロマンティックで、牧歌的で、切なくもある。ジゼルは 19 世紀の古典ですが、真に演技できるダンサーを必要とします。技術的に熟練したダンサーで、存在感とカリスマ性も必要です。演技が非常に素晴らしく自然主義的であり、進行中のすべてに反応するコールド バレエは、ジゼルがステージに戻ってきた愛情深い証でもあります。
今回の舞台の最も優れた特徴は、第2幕、コール・ド・バレエのフォーメーションではないでしょうか。優れたコール・ド・バレエのフォーメーション、ウィリたちが円になってヒラリオンを囲むフォーメーションも、新制作では単純に円形を取るのではありません。ウィリたちは隊列を組んでヒラリオンを追い詰め、ヒラリオンが舞台後方に後ずさりしたところで、直線の列が円形となってヒラリオンを囲んでいくのでした。
横に数列で並んだ左右のウィリたちの交差のシーンとは別に、ハの字で交差するコール・ド・バレエの見せ場も用意されていました。単純に横に並んだ列を交差させるよりも難易度が格段に難しいはずですが、新国立劇場バレエ団のダンサーたちは緊張感のある美しいフォーメーションを見せてくれました。
第1幕
アルブレヒトのいたずらが悲劇的な結果をもたらすこと予測していませんでした。アルブレヒトの婚約者であるバチルドの前で彼が誰であるかの真実がジゼルに明らかにされると、アルブレヒトは「私は何を考えていたのか?」と身振りをし、ジゼルが引きずり出される前に腕の中で死ぬことで、アルブレヒトは完全に取り乱します。ジゼルは、最期まで甘くて笑顔が素敵で、罪悪感のないジゼルでした。第 1 幕の終わりにジゼルの世界は崩壊し、狂気への彼女の降下は真に迫っていました。
この演出でもうひとつ特徴的な点は、アルブレヒト、ヒラリオンから村人たちまでの人間性を余すところなく描き、登場人物の人間性を丹念に描こうとしているところです。
ジゼルとアルブレヒトが仲良くしているところを見たヒラリオンが自分の恋心をジゼルに押しつける場面では、通例では、貴族らしいデリカシーのあるアルブレヒトが成り行きを把握した上で、まとわりつくヒラリオンから嫌がるジゼルを助けるという紳士性のあったアルブレヒトでした。しかし今回の演出では、アルブレヒトはヒラリオンを引き離すのではなく、空いている片腕を取ってジゼルの方を連れていこうとする、ただジゼルを遊びに誘う身勝手な青年として描いていました。
花占いの場面でも、単なる恋仲の崩壊という予兆の意味を超えて、この物語の悲劇の最大の要因である人間の身勝手さを見て取ることもできました。多くの演出ではジゼルは家の前の花壇から一輪摘みますが、この版では冒頭でヒラリオンがプレゼントした花束から一本抜き出すという演出を取っていました。ヒラリオンがプレゼントした花で、別な男との恋の行方を占うわけです。アルブレヒトの不誠実な恋が、後に身勝手な暴露をするヒラリオンが与えた花によって示唆されるという、二人の男の人間性に踏み込んだ演出になっています。アルブレヒトとジゼルの関係はヒラリオンの暴露によって崩壊することを暗示しています。
アルブレヒトを筆頭にヒラリオン、クールランド、バチルドが『ジゼル』で身勝手な人間と思い起こしますが、この演出では、名もなき村人たちも全肯定できるほどにおっとりとした良い人たちとは言いがたく、逆上したヒラリオンがトランペットを吹き鳴らしてクールランドたちを呼び出す場面では、逃げようとするアルブレヒトを怪しいと見た二人の村の青年たちにはっきりと食い止められてしまうのです。青年たちは、自分たちとは毛色の違うと見て取った瞬間、ムラの排除の論理をも感じさせます。またジゼルの狂乱の場面における村人たちも、死ぬ直前ジゼルは収穫祭で花輪をくれた少年にすがります幸せだったひとときの象徴だったからでしょうか、そのときの村人たち、特に少年の母親の反は冷薄です。裏切られたジゼルを憐れみ、実際に死ぬと悲しんではいますが、狂乱のそのとき、村人たちは狂女が自分たちに触れることを許さず、ジゼルに対して露骨に嫌悪感を示すのです。

第2幕
ウィリスの王国の幻想的な風景の中で、夜に行われます。非物質的で精神的な振り付けは、支配的かつ象徴的な要素としてアラベスクの姿で登場します。アラベスクは、コール・ド・バレエのすべてのダンサーがステージを横切り、互いに交差し、無限の線を描くシーンで神格化されます。彼女の墓から復活した精神であるジゼルの姿が、彼女の非物質的な存在の中に現れ、無重力であり、重力の法則の影響を受けず、最後の瞬間に自由に自分自身を解放することができます。
最初に、すべてのウィリスに入るや、ヒラリオンが同時にウィリスに近づくのを防ぎ、アルブレヒトがジゼルに会えるように、女王と並んで存在感を示します。ウィリスの女王ミルタの同意により、アルブレヒトとジゼルの恋人同士は再び一緒に踊ることができます。女王ミルタの役割を演ずるのは難しいですが、権威を持って演じます。フィナーレで、アルブレヒトがミルタの命令でジゼルを離れなければならないことに落胆を表明したとき、アルブレヒトを痛みで疲れ果てさせる代わりに、ジゼルはミルタに絶望的な言葉で何度も懇願します。この場面は振り付けの自由を発揮しています。夜明けが訪れ、ジゼルはアルブレヒトを荒廃させて墓に戻らなければなりません。
ジゼルの振り付けは、小さな仕草に至るまで不可欠であり、魂の言語に変換されて、『ジゼル』は私たちに感動を与え続けてくれます。ウィリたちによるジャンプでもトゥで立ったフェッテとなっています。床に向かって突き刺されたトゥの強さをこれほどまでに感じたことはありません。この振付におけるウィリたちの恐ろしさは、ジャンプではなく、強いトゥによって表されています。さりげない変更ながら、ウィリという存在をしかと捉えた素晴らしい演出だと思いました。

小野絢子さんのジゼルと共演ダンサーたちのすばらしさ
小野絢子さんのジゼルはとても美しいです。感情的にこってりと踊る人が多いのに対して、あっさりと踊っていますが、可憐さがひきたっていて、情感豊かに踊るジゼルだって素敵でした。
小野絢子さんの魅力は、「基本をしっかり押さえているからこそ生み出される美しさ」にあると考えます。海外のダンサーたちの中には、感情や演技に基本のポジションを外していても美しいことに価値があると感じてしまう人もいます。小野絢子さんはどんなに感情があふれ出る踊り方をしているときも絶対に基本から外れた動きはしません。
小野絢子さんは常に丁寧にバレエに向き合っていて、指先が床から離れる瞬間にぐっと伸びていて見惚れてしまいます。また、常に足が外側をむいている状態にされている脚は、長くて美しく鍛え自分を磨き続けています。弾むような動きなのにどこか一種落ち着いた印象を受けるのは、彼女が幼少の頃に日本舞踊を習っていたことが小野絢子さんのバレエに影響を与えているようです。
小野絢子さんの魅力は、制御に制御を重ねてコントロールしている中から、奥から溢れ出てくる感情表現は胸に迫るものがあります。新国立劇場のバレエ公演では、生で小野絢子さんのバレエを味わいたく、ほとんど毎回小野絢子さんが主役の舞台のチケットを選んでいます。
奥村康祐さんのアルブレヒトは、1幕では貴公子らしく、浅はかな青年という雰囲気はありませんでした。それでも、遊び半分だったアルブレヒトがジゼルの死を経て初めて自分がとんでもないことをしていたことに気づいたのです。第2幕では、不誠実な形でジゼルに愛を誓ったことを後悔している思いが表現されていました。第2幕では、ダンサーは霧の海に無重力で浮かんでいるようです。雰囲気は非現実的で、非物質的な錯覚を与えます。一見無重力のように見えるジゼルが空中を浮遊するとき、奥村康祐さんのアルブレヒトも本領を発揮します。二人の間には本当の優しさがあるように感じさせ、アルブレヒトのソロに強さとスタミナをもたらし、二人の間には本当の優しさがあるようで、奥村康祐さんのソロに強さとスタミナをもたらしていました。

寺田亜沙子さんのミルテは、アルブレヒトの力を使い果たすように命じたとき、彼女はまだ人間の意志の力を使ってジゼルの代わりになることでアルブレヒトを救います。寺田亜沙子さんは重力に逆らって飛び、首の後ろから肩にかけて腰までの美しいラインで伝統的なウィリのポーズを凛とした姿で演じていました。
新国立劇場バレエ団のダンサーたちのコール・ド・バレエは、横に数列で並んだ左右のウィリたちの交差のシーンと、難易度が格段に難しい、列を交差させるコール・ド・バレエを、緊張感のある美しいフォーメーションを見せてくれました。
10月27日(木) 14:00 新国立劇場オペラパレス
ジゼル:小野絢子
アルブレヒト:奥村康祐
ヒラリオン:福田圭吾
ミルタ:寺田亜沙子
ペザント パ・ド・ドゥ:奥田花純、中島瑞生
参考資料
新国立劇場のバレエ公演『ジゼル』公式サイト
渡辺 真弓 (著)『名作バレエ50 鑑賞入門』世界文化社、世界文化社
秋吉理香子 (著)『ジゼル』(小学館文庫)2017年
https://spice.eplus.jp › 吉田都
Ballet Constellation
「吉田都芸術監督が演出する『ジゼル』新国立劇場バレエ団」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
解説を読んで、新演出の部分も有ったんだなと思いました。たぶん、再演されるでしょうからそのときは絶対行きたいと思います。
ジゼル…いままでDVDではありますが、ボリショイのSvetlana Lunkina スカラ座のSvetlana Zakharova そして、ロイヤルバレエのAlina Cojocaru と見てきました。しかし、どうしてもアルブレヒトに感情移入できない、それなのになんでジゼルは許してしまうのか? アルブレヒトは台本の上では改心して悔いた事になっているのだろうけど、とてもそんな風には見えない(男の本性なんて変わらないんだよ…って感じ)却って、ヒラリオンに同情してしまう!…ずっと、そんな感情を引きずりながら見ています。
ですので、dezireiさんの評を読んで、ますます都さんの演出になるジゼルを見たくなりました。ロイヤルバレエは時として演劇に重点を置き過ぎたきらいがあり、わたしはちょっと苦手なのですが、もういちど Alina のジゼルを見てみようと思いました。
ロマンティック・バレエの代表作の一つです。このロマンテック・バレエはとても重要な様式ですので必ずご確認ください。ジゼルの内容は、簡単にいうと、結婚を目前にして亡くなった娘達が妖精ウィリとなり、夜中に森に迷い込んできた男性を死ぬまで踊らせるというハインリヒ・ハイネによって紹介されたオーストリア地方の伝説に着想を得て作られました。2幕物で、第1幕の昼間の森の場面と第2幕の夜の場面の対照が印象的です。
主人公が死装束で踊る唯一のバレエ作品といわれます。
バレエ『ジゼル』の音楽は1841年の初演の時点で、オリジナルのアダンのものに加えて、ヨハン・ブルグミュラー作曲による 《レーゲンスブルクの思い出》 (Souvenir de Ratisbonne) と称するワルツ1曲と、ジゼルと友人たちが踊るための5曲が挿入されていました。これらは第1幕の “村娘のパ・ド・ドゥ” と呼ばれる部分を構成しており、ワルツがその最後に来ます。
ロマンティック・バレエの代表作の一つです。このロマンテック・バレエはとても重要な様式ですので必ずご確認ください。ジゼルの内容は、簡単にいうと、結婚を目前にして亡くなった娘達が妖精ウィリとなり、夜中に森に迷い込んできた男性を死ぬまで踊らせるというハインリヒ・ハイネによって紹介されたオーストリア地方の伝説に着想を得て作られました。2幕物で、第1幕の昼間の森の場面と第2幕の夜の場面の対照が印象的です。主人公が死装束で踊る唯一のバレエ作品といわれます。
なお音楽は1841年の初演の時点で、オリジナルのアダンのものに加えて、ヨハン・ブルグミュラー作曲による 《レーゲンスブルクの思い出》 (Souvenir de Ratisbonne) と称するワルツ1曲と、ジゼルと友人たちが踊るための5曲が挿入されていました。れらは第1幕の “村娘のパ・ド・ドゥ” と呼ばれる部分を構成しており、ワルツがその最後に来ます。
一年前のキエフバレエがコロナでダメになり、俺は、バレエに見放されているのかと思ったものだ

