ブログトップ | ログイン

dezire_photo & art

desireart.exblog.jp

芸術と自然の美を巡る旅  

音楽と劇の統合を追求した革命的オペラで「世界のヴェルディ」に

ヴェルディ『リゴレット』

Verdi "Rigoletto"

 音楽と劇の統合を追求した革命的オペラで「世界のヴェルディ」に_a0113718_01190148.jpg




『リゴレット』は、「劇と音楽の統合」を目指して、新しい表現法を追求していたヴェルディの個性が開花し、「イタリアのヴェルディ」から「世界のヴェルディ」国際的名声を獲得した円熟期の傑作です。「ヴェルディの最高傑作」の声もありますが、私自身、舞台鑑賞ではなく、オーディオで『リゴレット』全曲を聴いていると、音楽としては作品の価値「ヴェルディの最高傑作」と言えるように感じます。






ロマン派文学の統率者・ユゴー原作を選んだ脚本

ヴェルディが『リゴレット』の原作に選んだロマン派文学の統率者・ユゴーは、「劇とはグロテスクと崇高、喜劇と悲劇の融合したもので、相反する調和の中にこそ真の詩があり、劇こそ完全な詩である」と述べていました。ユゴーは、ロマン派の統率者とみなされるようなり、決定的な支持を得ました。そんなユゴーが執筆したのが『王様の楽しみ』であり、ヴェルディはこの作品を『リゴレット』の原作に選びました。


女を慰み者にしている非道な好色の若い貴族マントヴァ侯爵、マントヴァ公の宮廷に仕える年老いた不具の道化師リゴレット、リゴレットの清楚な娘ジルダの3人で話は展開します。


ジルダのアリア「慕わしいお名前」はジルダの独白のみです。また,リゴレットのアリア「悪魔め,鬼め」においては,伝統的なアリアスタイルの緩→急の形は真逆になり,急→緩という形で伝統的形式は覆されています。リゴレットのアリアを今までなりえなかった異常なタイプの主人公を配置することによって,内面の心の叫びを音楽によって引き出すことに完全に成功しました。全てがとても分かり易く素直な方法で表現された見事な手法は,ヴェルディがいかに“心理を音に変換する能力”が高いかを物語っています。


背中にこぶのある道化:主人公のリゴレット。排斥された人間への共感,複雑な男性主人公の心理,限りなく強い父性愛,どれもが模索していた創作にぴったりとマッチして,複雑な性格と豊かな感情を音楽に表すことに成功しました。


娘を誘拐された後、リゴレットは廷臣たちに対して「くそったれ」と怒りをぶつけ、さらに娘を誘惑した公爵への猛烈な復讐心へと変わっていきます。リゴレットは急いでいる/権力者にとってどれほど致命的な雷鳴だろう/神が投げた稲妻のように/愚か者は権力者を攻撃する方法を知っているだろう。」


父の同情はジルダに留められ、容赦のない憎しみが権力者に降りかかるが、疎外された階級の代表であるリゴレットには、娘の名誉に復讐して正義を遂行する資格すらないのです。愛する娘ジルダがマントヴァ侯の毒牙にかかって汚されたリゴレットは、殺し屋を使って侯爵に復讐を企てます。彼は有力者を倒したと錯覚したが、気がつくと公爵の死体と思われるその前でこう言います。ブッフォンの仮面の下で…今、私を、あるいは世界を見つめる/これが愚か者、これが力強い!/彼は私の足元にいます!」


しかし、代わりに袋の中に閉じ込められているのは、愛する侯爵の命を救うために死を選び、「私の正当な復讐の策略に捕らえられた」のは侯爵の身代わりに殺された最愛の娘でした。


今、恐ろしい孤独がこの道化を待っているが、彼に残されたのは、瀕死の娘が「天国で母親の隣にいる/私は永遠にあなたのために祈るよ」と彼に示してくれた一縷の希望だけなのです。瀕死の娘が「天国で母親の隣にいる/私は永遠にあなたのために祈るよ」と彼に示してくれた一縷の希望だけでした。


最も印象に残っているのは、運命を変えようとする無駄な試みの中で大惨事に至るまでの、リゴレットの最も人間的で痛ましい側面です。愛情と温かさが――ついには――愛と韻を踏む「普通の」人生を送るために全力で戦う男の運命。この作品には愛がほとんどなく、愛に対する認識も悪い。『リゴレット』の下に破壊的な愛があるのは、リゴレットが娘を愛だけです。


陰惨な台本ですが、ヴェルディの美しい音楽をちりばめたすばらしい音楽の力で、魅力的なオペラに仕上がっています。ヴェルディハ、この作品でオペラの一大改革を成し遂げ、一躍「世界のヴェルディ」の地位を確立しました。。





ライトモチーフの使用と音楽構成

リゴレットの非常に革新的な要素は、ヴェルディの非常に特殊なライトモチーフの使用です。リヒャルト・ワーグナーは何よりもこの技法に精通していますが、ワーグナーのライトモチーフは、特定の状況や登場人物に関連付けられた繰り返しのテーマ、つまり短いメロディーで構成されています。ワーグナーの手法を使用すると、構築されるシーンが非常に長くなります。


ヴェルディはまったく異なる考え方で、メロディーを使用する代わりに、ライトモチーフのすべての意味が凝縮されています。例えば呪いの音は、モンテローネがリゴレットに投げつける忌まわしい言葉であり、呪いの輪に入る人は必ずこの音を歌うことになります。マントヴァ公爵の宮殿の案内係や教会の鐘楼でさえもこの道が地震の震源地であることを強調するために「呪われた」歌を歌います。ヴェルディがこの音符の重要性を私たちに理解させる箇所は他にもあります。第 1 幕の瞬間では、夫が無力に見守る中、公爵がチェプラーノ伯爵夫人を弱体化させているところに、リゴレットが現れて「呪われた」歌のすべてを歌います。「シニョール・ディ・チェプラーノ、気はあるか?」ジョークとしてはいいかもしれませんが、それはトラブルの始まりで、他の廷臣たちにリゴレットの娘を(愛人と間違えて)誘拐させ、ドラマを始めるよう促すのはチェプラーノです。





緻密に設計されたオーケストレーション

ヴェルディは、オーケストレーションを演出の一部とみなし、舞台の雰囲気を管弦楽に担わせるために、舞台のゲネプロ(通し稽古)」で最終的なイメージを得て、リハーサル開始まで声楽のパートしか書き上げませんでした。しかも『リゴレット』では、ヴェルディの管弦楽部は、実に緻密に設計され、オペラの様々な部分にモチーフが巧妙に張り巡らされ、聴衆に対して、知らず知らずのうちに既視感の幻想に陥らせ、作品に深い陰影を与えています。


リゴレット』は複雑な作品であり、(たとえばオーケストレーションにおける)繊細な点と、文字通り世界中の作曲家にとっての基準を定めた多くの主要なメロディーとメロディーをつなぐ経過的なフレーズに満ちています。この並外れたタイトルの表面を軽くなぞっただけで、ジュゼッペ・ヴェルディが偉大な天才であり、私たちが頻繁に耳にする、口ずさまれる心に強く残るメロディーをはるかに超えた天才であったことを明確に認識することができます。





音楽と劇の統合

『リゴレット』は、ベルカントオペラ時代の伝統的な形式から脱した形式に囚われない、ヴェルディが考えた作品の価値は、「音楽と劇の統合」へと発展を遂げて行った出発点となりました。


ヴェルディにとって『リゴレット』の主人公、リゴレット役は歌唱においては、伝統的なベルカント唱法から出発した基礎を置き、演劇的な面でもすぐれた性格描写、心理描写が求められる難役でした。初演のタイトルロールとして、リゴレットを創唱したバリトン歌手フェリーチェ・ヴァレージでした。ヴェルディにとって『リゴレット』のタイトルロールとなるヴェルディが求めたフェリーチェ・ヴァレージのバリトンの声は、純粋にその時代を生きた中での伝統的なベルカント唱法で歌い、並外れた性格描写の能力を持ち、ヴェルディの意図した、当時としては新しい音楽話法を用いて歌い、ヴェルディの理想を体現できるものでした。フェリーチェ・ヴァレージこそが、バリトンにおける音楽史上初のヴェルディ歌手であり、“ヴェルディ・バリトン”と呼ぶにふさわしいものでした。


バリトンと言う声種の取り扱いが一歩一歩進化させ、キャラクターを音楽で描く手法が巧みに成長を遂げていきました。そこに、リゴレットと言うこれまでに無かったキャラクターとの出会いも重なり、特別なオペラが生まれました。


バリトンとして注目する『リゴレット』の音楽とその特徴、キャラクター、それまでの作品においても同じように触れ、『リゴレット』では、それまでの作品には見られなかった様々な改革を行っています。それに至るまでの作品の中には、後の『リゴレット』の楽曲を予告するような様々な部分が見て取れました。これによりわかった事は、『リゴレット』は、それまでの作品の集大成として生み出された名作となりました。


『リゴレット』が、ベルカントオペラ時代の伝統的な形式から脱した形式に囚われない「音楽と劇の統合」へと発展を遂げた出点になり、又、『リゴレット』からヴェルディのオリジナルな作風が固まりました。


ヴェルディの述べたパローラ・シェニカの劇的な台詞の定義を基に、台本作家ピアーヴェと作り上げたその台詞は、その言葉によって、舞台状況が瞬時に判断でき、劇の流れを切れ目なく円滑に進める事に成功しました。あまりに自然な流れのその台詞は、大きな効果を与えているのにも関わらず、独白によって場面転換を行う手法のパローラ・シェニカが劇中では多用され、キャラクターの“決め台詞”的側面も持ち合わせていた台詞が多々存在していました。『リゴレット』における“音楽と劇の統合”に多大な影響を及ぼしていると言えます。

リゴレットの音楽はドラマを優先し、バリトンを歌うリゴレットはすべての行動に音楽を与えています。第2幕の「悪魔め、鬼め」と歌うリゴレットのアリアにチェロの音楽表現、リゴレットを笑いものにする宮廷の家臣たちの合唱、管弦楽部は様々なモチーフが巧妙に張り巡らせており、精密に設計された音楽は見事にオペラに幻想と陰影を与えています。


マントヴァ侯爵は、救いようのない非道な好色男ですが、第1幕の登場場面で歌う「あれかこれか」からすばらしいアリアを歌わせ、ジルダへの求愛の歌、第2幕初めの独白、第3幕のカンツォーネ「女心の歌」と軽い声のテノールの魅力をふりまく美しい歌を歌わせて、清純なジルダの心をとらえてしまうストーリーに説得力を持たせているかのようです。





衝撃と呪いを超えるヴェルディの音楽の力

この作品は1851 年の観客にとって大きな衝撃であり、その理由は非常に具体的でした。『リゴレット』は、幕の開きから終わりまで、ほぼワーグナー音楽の途切れることのない連続した流れとして存在しており、これは、閉じられたナンバーが彼らの作品であることを暗示していました。


彼の名の下に破壊的な愛があるのは、リゴレットが娘を愛しているからです。ギルダは公爵が好きです。公爵が愛しているのは自分だけだ!そして、この悪循 環の中で誰もが「道に迷って」しまうのです。希望はとっくの昔にリゴレットの家を出て、その場所に無用の復讐の毒を残しました。ヴェルディはこの劇の中で、過去数年間のすべての考えと悲劇的な経験を凝縮し、それらを運命論と混ぜ合わせて、いずれにせよ虚無と空虚が勝者であることを断言したようです。しかし、オペラ劇場が精神の心の癒しであることをよく知っており、『リゴレット』の音楽の演奏を聴かせることは呪いを超えてしまうのです。


ダッデイやゴッビが歌ったリゴレットでは、こえを自在に操った性格描写が絶品で、嘲笑に溢れ、嘆きも怒りも諦めも真に迫ってこころに響きます。


気ままな好色家のマントヴァ公爵は、優越感と自信家の好色感で、声には輝きと軽さが必要です。ルチアーノ・パヴァロッティ高温の輝きは傑出しており、自信に満ちた昂揚で、どんな情熱的に愛を訴える時でも覚めてク-ルなところがあるのは、マントヴァ公爵の本質を表現しているようです。このように、名歌手が出演すると、音楽の魅力がム一層際立ってきます。


オーディオで『リゴレット』全曲を聴いていると、音楽のすばらしさに魅了され、「ヴェルディの最高傑作」と感じてしまうのでしょう。






参考資料

音楽之友社編「スタンダードオペラ鑑賞ブック・イタリアオペラ2」1998

永竹 由幸 ()「ヴェルディのオペラ―全作品の魅力を探る」2002

加藤浩子著「ヴェルディ : オペラ変革者の素顔と作品」平凡社2013

湯澤 直幹「ジュゼッペ・ヴェルディ《リゴレット》表題役を中心に」

ルカ・フィアルディーニ著「ジュゼッペ・ヴェルディの革命的オペラ『リゴレット』」2015










このブログを見たかたは、下のマークをクリックお願いいたします。
にほんブログ村 クラシックブログ オペラへ
にほんブログ村









by desire_san | 2023-06-25 19:23 | オペラ | Comments(6)
Commented by フィオレンツァ  at 2023-06-28 13:38 x
力作拝読しました
ヴェルディの数ある傑作の中で「リゴレット」を最高と位置付けられるお気持ちわかります
個人的にはオペラの興奮に絡め取られるのは大抵重唱のシーンである私にとっても「リゴレット」は圧倒的なオペラです 私の娘達は小さな頃からパヴァロッティの「風の中の、、」から嵐のシーンまでをビデオが擦り切れるまで観ていたものです
私が最も好きなヴェルディ作品も登場人物が多く畢竟迫真の重唱に溢れています
久しぶりに楽しい投稿有難うございました





Commented by desire_san at 2023-06-28 13:56 x
フィオレンツァさん、ありがとうございます。
「リゴレット」を初めて新国立劇場の舞台で見たときは、ストーリーがあまりに理不尽で、ジルダも、リゴレットも好きになれませんでした。
しかし、パヴァロッティやドミンゴなどの往年の名演奏を聴いていて、その音楽のすばらしさに圧倒されました。アリアも重唱もオーケストラも息もつかせぬほど感動的で、パヴァロッティの音楽の世界に引き込まれていきます。
最近は、名演奏をオーディオ装置で楽しんでいます。






Commented by Haru_kashi at 2023-06-28 14:23 x
リゴレット、表面的にしか知りませんでした。
神奈フィルで演奏したことはありません。

勉強になりました。
Commented by Q Mituko at 2023-08-03 19:42 x
ジルダは重唱のなかで彼女の心を吐露させています。
最後の四重唱がとくに素晴らしいですね。
その前に素晴らしいアリア「慕わしき人の名は」、そしてリゴレットやマントヴァ公爵との二重唱もあります。
どれもその時のジルダの心情がヴェルディの音楽の中で見事に表現されていて、それらを積み上げた上での四重唱なのです。
何よりも、このオペラに描かれていることは、決して絵空事などではなく、世の中の真実です。たとえこのようなことを実際に経験しなくても、ジルダの心情を感じ、演じることは、名ソプラノ歌手にとっては、決して難しいものではないようです。



Commented by A Mira Mori at 2023-08-03 19:47 x
19世紀を通して人気の音楽芸術といえば、何と言ってもそれは「オペラ」でした。音楽を中心とした「歌劇」は、現代でいえば映画と演劇とミュージカルを合わせたような、市民が楽しむ娯楽の中心だったのです。

リゴレット・パラフレーズは、演奏時間も7分と比較的短く、当時なら「誰でも知っている」リゴレットの重唱のフレーズを題材とし、きらびやかな変奏を施した作品で、当時から、「リストのオペラ編曲もの」としては、人気も高く、現在でも、最もよく演奏されるこのジャンルの作品となっています。超絶技巧を誇ったリストの作曲ですから、演奏はかなり難しいのですが、19世紀の人気オペラを、19世紀の「ザ・ピアニスト」リストが自由に「いじった」この作品は、当時の栄華を伝えてくれるような華やかな雰囲気に満ちています。

オペラ「リゴレット」が初演されたのは、1851年。そして、リストが「リゴレット・パラフレーズ」を作曲したのは、1859年のことでした。当時のヒット作の伝達速度を考えると、リストは流行に敏感だった、と言えましょう。


Commented by Haruyoshi_Takehoshi at 2023-08-03 23:12 x
ヴェルディのリゴレットについてのご感想ありがとうございました。昔LPでこの曲を買いましたが、輸入盤だったこともあり、最後まできっちり聞いたかどうか記憶がありません。ただ序曲の後の出だしの場面は、椿姫の舞踏会場面に酷似しているように感じました。私はどうもヴェルディが苦手で、レクイエムは生で聞いたことがあるのですが、その後、録音で最後まできっちり聞いた覚えがありません。そんな状況なので、ヴェルディの音楽を理解できないでずっと来ているので、音楽構成の部分が理解できないことをお許しください。









by desire_san