「色彩の魔術師」「フォーヴィスムの創始者」現在も輝く巨匠の総てに迫る
マティスの芸術
All of Matisse's art

2023年4月27日(木)~8月20日(日)まで、東京都美術館で『マティス展』が開催されています。モマティスは、ダンアートに決定的来な役割を果たした巨匠で、84歳で亡くなるので、鮮やかな色彩と光の探求に生涯をささげました。画家マティスの美術の魅力と本質についてレポートしてみました。
アンリ・マティスは、「色彩の魔術師」と呼ばれ、パブロ・ピカソと並んで20世紀を代表する絵画の巨匠です。それまでの芸術の概念にはなかった、純粋な色彩による絵画様式で新しい時代の到来を告げた「フォーヴィスム」(野獣派)という革命的な画法のリーダー的存在であり、後世の芸術家にも多大な影響を及ぼし、ロイ・リキテンスタイン、ジャクソン・ポロック、アンディ・ウォーホルに至るまで、ミニマリズムからポップアートまでアメリカ前衛芸術家たちに大きな影響を与えました。
生い立ち~画家の成長の過程
アンリ・マティスは、1869 年12 月 31 日フランスのカトー・カンブレシで穀物商人の息子として生まれました。1895 年、マティスはギュスターヴ モローのアトリエにあるエコール デ ボザールに入学しました。巨匠・ギュスターヴ モローの教えは、技術的な妙技を超えて、自分の絵について考え、それを夢見ることを奨励しました。マティスは、クラスメートのジョルジュ・ルオー、レオン・レーマン、シモン・ビュッシー、ウジェーヌ・マルテル、アルベール・ユヨ、アンリ・エヴェネポールらと共に、「絵画の概念」に刺激を受け、「個性に応じた独自の絵画」を開発しようとしのした。ギュスターヴ・モローはマティスに「あなたは絵を単純化しようとしているのですね」。と言いました、
マティス「屋根裏のアトリエ」1903年

マティスは色々なテーマの作品をシリーズで描きました。「食卓シリーズ」、「窓シリーズ」が有名です。その最初の作品「屋根裏のアトリエ」は経済的に行き詰まっていて親元に帰って絵の制作をしていました。絵の場所となったのは、ボアンのファガー通り24番地に父が所有していたアパートの屋根裏部屋で、薄暗い屋根裏のアトリエに、中庭が見渡せる窓があって、そこから強い光が差し込んで、窓の向こうは、赤レンガのダンボール工場が見えます。
マティスは、うす暗い空間の中に差し込む太陽光に、大変な関心を示し「光があたると、モティーフを取り囲んでいた小さな空間から、私の魂が抜けだしていく」と語り、経済的に苦しくても、真っ直ぐ光りの来る方向を向いて歩こうとする、マティスの決意が伺えます。
バロック期から窓を描いた作品では、ベルギー王立美術館が所蔵するレンブラントの「ニコラス・ヴァン・ベックの肖像画」や19世紀のマネの代表作の一つ「バルコニー」などを数多くありますが、これらに共通していた点は、窓際の人物を、外から眺めた像として描いたことです。
マティスは、発想の転換し、部屋の中から窓を通して見た外の景色と、部屋の中の光景を、同一画面に収めるという画期的な表現方法を取り入れました。窓から見た景色は美術史上画期的でした。この後の、南仏で描いた作品「コリウールの開いた窓」には、開けた窓ガラスに、部屋の中の人物を映し出すという手の込んだ手法も取り入れました。
開け放った窓から見た外の景色に注目した最初のアーティストは、19世紀の象徴派詩人ボードレールでした。ボードレールは、象徴主義の巨匠モローにも大きな影響を与えました。ボードレールの死後に発表された詩に「窓」の冒頭で「開いた窓から外の風景を眺める者は、閉めた窓を眺めるものほど多くの物を見ることはできない。窓の外の風景は、蝋燭の炎に照らされた窓よりまぶしく、これほど深遠で神秘的、豊かでかつ闇に包まれたものはない。」と書いています。マティスの「窓シリーズ」が生まれるには、このような文学上の背景があったのです。
モローは寛大ではあるが優れた批評家であり、この作品にはすでに革命的なものが含まれていることを発見しました。「自画像」(1906年)では、白いテーブルクロスの上に、果物、水差し、クリスタルグラス、トレイが、画家が才能のすべてを注ぎ込んだ静物画として配置されています。
マティスにとって、19 世紀の最後の年は、創業の経験と発見の年でした。1898 年の春と夏を過ごしたコルシカ島で、彼は強度とコントラストに満ちたこの光に対する「南部の偉大な驚異」を初めて経験し、色彩の新たな治療の道に彼を導きました。ポール・シニャックは「ウジェーヌ・ドラクロワから新印象派まで」という研究を発表し、その中でタッチとトーンの分割と、色彩の回復に対する同時コントラストの使用に関するジョルジュ・スーラの教訓を理論化しました。
マティス「ラ・デセール」(1896-1897)

マティス「ラ・デセール」では、絵画的でより現実的な光の感覚が見られます。
マティスが 1904 年の夏をサントロペで一緒に過ごし、振動する反射の継続的な遊びに色と光を吹き込み、キャンバス上で色を踊らせるシニャックの点描技法は、絵画においてマティスが頼れる解決策になりました。
ボードレールの「航海への招待」から取られた刺激的なタイトル現代美術の歴史に残る絵画:「贅沢、穏やかで官能的」(1905年)に完成し、サロン・デ・アンデパンダンに展示されました。これらの作品は、「生きる喜び」と同様に、夢のエデンをさまよう羊飼いと羊飼いの牧歌的な至福の象徴の下に置かれています。これは、アーティストによる色の決定的な征服における段階の 1 つでした。
「帽子の女」マティス 11905年 サンフランシスコ現代美術館

1905年の第二回サロン・ドートンヌで展示するために描かれたもので、マティス周辺の画家たちが“フォーヴィスム”と呼ばれるきっかけとなった記念碑的な作品です。これは、マティスが初期に影響を受けていた印象派の分割描法からシフトした転換期の作品でもありました。
批評家は、原色を多用した強烈な色彩の絵画とほかのマティスのルネッサンス風の彫刻を比較して、「野獣(フォーヴ)たちに囲まれたドナテロ!」と話題を呼びました。
モデルはマティスの妻のアメリーはフランスのブルジョアジー女性の典型的な象徴として、手の込んだ衣装を身につけ、手袋を身につけ、手には扇子を持ち、頭に豪華な帽子を被って、衣装は非常に鮮やかな色合いで、純粋に豪奢な感じです。しかしマティスは、現実の色合いをリアルに描くことが重要ではなく、と考えました。自身の心や感情を軸に、自由きままに色彩表現されていればよい。それこそが、フォーヴィスム表現であり、「帽子の女」はフォービスムと呼ばれるきっかけになったマティスの代表的な作品となりました。
第二回サロン・ドートンヌに展示されたこの作品ですが、原色を多用した大胆な色彩を目の当たりにした批評家のルイス・ボークセルズが、この絵と一緒に並んでいたマティスのルネッサンス様式の彫刻と比較して、「野獣(フォーヴ)たちに囲まれたドナテロ」と評価したことから、フォービスムという呼び方が世間に広まりました。
1905 年のサロン ドートンヌでは、マティス、アルベールマルケ、ヴラマンク、ドラン、キース ヴァン ドンゲンの作品が、キャンバス上に平らに置かれた純粋で暴力的な色彩によってスキャンダルとなりました。アンリ・マティス、マルケ、マンギン、カモワン、ジリュー、ドラン、ラモン・ピショーは非常に明快で、大胆な部屋で、法外で、その意図を解読する必要があり、賢い人にも素晴らしい人にも輝く権利が残されており、批判はあまりにも簡単です。
“フォーヴ”という名前はすぐに採用され、画家たち自身によって主張された。 この時期はまた、マティスの作品が評価された時期でもあり、最終的には彼に物質的な安らぎをもたらした。彼は“フォーヴィスム”の指導者になります。
ママティス「緑の筋のあるマティス夫人の肖像」(1905年)
コペンハーゲン国立美術館

伝統に縛られない色彩の自立、画家の感情が造形よりも強烈な色彩で表現されています。顔の中央に描かれたて太い緑の筋、顔の左右、背景の左右に分けられるように配色された原色の組み合わせと上下は赤や緑を中心として黄、紫、紺などの原色の激しい筆使いで描かれています。明るい色と冷たい色を同時に強調して使うことにより、マティス自身とマティス夫人の内面を表現しています。伝統に縛られない自由な色彩を用いることで、感情を形体ではなく色彩で表現しています。
モデルのマティス夫人・アメリーの印象を説明するためにこのような表現になったようで、マティス夫妻との結婚生活の困難が、非人間的で仮面のような表情にとなったと言われています。この絵が1906年にパリで展示されたとき「理解不能な絵」と嘲笑されました。
「初期前衛芸術」
マティス「生きる喜び」(1905-1906年)バーンズ・コレクション

黄色で広く占められた大胆な色彩や空間の歪みが非常に特徴的で、初期前衛芸術を代表する油彩作品です。パブロ・ピカソはこの絵をみてひどく衝撃を受け、この作品を意識して後に代表作となる「アヴィニョンの娘」を制作したと言われ、「アヴィニョンの娘」とならんで、初期前衛芸術の柱となる傑作として、後世に与えた影響は絶大だったといえます。
1906年のサロン・デ・アンデパンダンで初めて展示され、その黄色でキャンバス全体を占有した大胆な色の使いや空間のゆがみは、当初は鑑賞者から非難を浴びました。しかし、マティスによれば1905年のサロン・ドートンヌでの批判に対する反応だということです。
マティス「ダンス Ⅰ」(1909年)
ニューヨーク近代美術館(1)、エルミタージュ美術館(2)

この作品は、フォービスムと呼ばれた時代が終わって4年後くらいにかかれた作品です。かつての派手な色彩と比べると、全体的に淡さがあり少し落ち着いた印象を受けます。この作品は、大きさが約2.6×4mもあるかなり巨大なもので、現在はニューヨーク近代美術館に所蔵され人気を博しています。
アンリ・マティスの有名な作品である「ラ・ダンス」は、人生、喜び、 肉体の放棄への賛歌です。現代美術の象徴となっています。
『ダンス(Ⅰ)』のあとに制作された1910年版『ダンス(Ⅱ)』は、1909 年にロシアの非常に影響力のあるコレクター、セルゲイ・シチューキンの家を飾るために、1つが『ダンス(Ⅱ)』で、もう1つは『音楽』でした。そのシンプルさとそこからにじみ出るエネルギーが特徴的なこの絵は、20 世紀の芸術に足跡を残しています。このダンスはフォーヴィスムの最盛期に上演され、伝統的な西洋の表現慣習からの芸術の解放を体現しています。『ダンス(Ⅱ)』は1917年のロシア革命が勃発するまで、階段のところに《音楽》と一緒に飾られていました。現在はロシアのサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に展示されています。
この作品に対するアンリ・マティスの美的選択は、1910 年にサロンでスキャンダルを引き起こしました。実際、大胆なヌードと大まかに適用された色は、一部の視聴者に衝撃を与えた原始的な特徴をこの作品に与えました。マティスは、このお祭りのシーンを表現するために、青、緑、赤の 3 色だけを使用しました。伝統的なフォーヴィスムの色の組み合わせを踏襲し、これら 3つの鮮やかな色合いが深いコントラストを生み出しました。美術評論家のチャールズ・カフィンは、スタジオでマティスを観察した後、「チューブの中の顔料は純粋だった」と述べた。
スタイルとディテールの節約により、曖昧なキャラクターが作成されます。その表情も性別も明確に定義されていません。赤いシルエットは、青と緑の背景に適用された輪郭によって単純に下線が引かれています。マティスは、調和を生み出すための色と線の関係を探求しました。彼にとって、色は単独で機能するものではありませんでした。さらに、遠近感や距離感を生み出す建築上の特徴やランドマークもありません。巨大なキャンバス (260 cm x 391 cm) は奥行きがなく平らに見え、踊る人物だけに焦点が当てられています。
アンリ・マティスの有名な作品である「ラ・ダンス」は、人生、喜び、 肉体の放棄への賛歌です。現代美術の象徴となっています。そのシンプルさとそこからにじみ出るエネルギーが特徴的なこの絵は、20 世紀の芸術に足跡を残して います。このダンスは“フォーヴィスム”の最盛期に上演されました。作品は、伝統的な西洋の表現慣習からの芸術の解放を体現しています。
野獣派の彩り豊かな色彩と率直なスタイル
この作品に対するアンリ・マティスの美的選択は、1910 年にサロンでスキャンダルを引き起こしました。実際、大胆なヌードと大まかに適用された色は、一部の視聴者に衝撃を与えた原始的な特徴をこの作品に与えました。マティスは、このお祭りのシーンを表現するために、青、緑、赤の 3 色だけを使用しました。伝統的な“フォーヴィスム”の色の組み合わせを踏襲し、これら3つの鮮やかな色合いが深いコントラストを生み出します。美術評論家のチャールズ・カフィンは、スタジオでマティスを観察した後、「チューブの中の顔料は純粋だった」と述べた。
“フォーヴィスム”(野獣派)の彩り豊かな色彩と率直なスタイルとディテールの節約により、曖昧なキャラクターが作成されます。その表情も性別も明確に定義されていません。赤いシルエットは、青と緑の背景に適用された輪郭によって単純に下線が引かれています。マティスは、調和を生み出すための色と線の関係を探求しました。彼にとって、色は単独で機能するものではありませんでした。さらに、遠近感や距離感を生み出す建築上の特徴やランドマークもありません。巨大なキャンバス (260 cm x 391 cm) は奥行きがなく平らに見え、踊る人物だけに焦点が当てられています。
この作品に対するアンリ・マティスの美的選択は、1910 年にサロンでスキャンダルを引き起こしました。実際、大胆なヌードと大まかに適用された色は、一部の視聴者に衝撃を与えた原始的な特徴をこの作品に与えました。マティスは、このお祭りのシーンを表現するために、青、緑、赤の 3 色だけを使用しました。伝統的な“フォーヴィスム”の色の組み合わせを踏襲し、これら 3つの鮮やかな色合いが深いコントラストを生み出します。美術評論家のチャールズ・カフィンは、スタジオでマティスを観察した後、「チューブの中の顔料は純粋だった」と述べた。
「色彩の魔術師」という異名を持つマティスの最大の特徴を挙げると下記のようになります。
その独自の色彩の世界観
マティスは色彩によって表現を現実から解放
色彩を単純化させていき、その純化を追求した
晩年、切り絵という最終的な色彩の純化に到達
「形態ではなく、色彩でデッサンをする」
マティスの作品は「赤」「緑」「青」「黒」に基づく作品
マティスは、並外れた色彩感覚や造形感覚で充分に絵に意味を持たせています。既成概念を持たず、真にクリエイティブな発想を持っているからこそ誕生した作品を制作しました。
絶妙な構図と美しい色彩、色彩と色彩の響き合いは絶妙なバランス、適度な温もり感を生み出し、とても快適な空間を作ります。
背景の模様のカーブと人体の曲線が有機的な形として溶け合い、音楽的な心地よいリズムを生み出します。
マティスの絵画は、日常の空間に潜むさまざまな発見や自然な調和を描いているのだと思います。
マティスの絵画は部屋に溶け込み、誰でも快く受け入れてくれそうな雰囲気をかもしだします。
マティス「赤いハーモニー」(1908年)エルミタージュ美術館

赤を主体した色彩構成が印象的ですが、青い蔓草模様と赤いテーブルクロス、赤い壁を組み合わせることにより、空間を消失させてフラットな印象を見る人に与えます。一方で、窓から見える青色や緑色の風景は奥行きを感じさせ、色彩を用いた巧みな空間表現が見事です。「赤いハーモニー」はフォービスムの時期において最も完成度の高い作品として知られ、マティスの最高傑作であると評されます。
ねじれた青い蔓草模様とラズベリー・レッドの壁紙とテーブルクロスが、壁とテーブルの境を曖昧な状態にし、部屋本来の3次元空間を消失させ全体を1つのフラットな赤い空間にすることで高い装飾性を与えています。窓から見える赤とは対照的な緑の庭、青い空、果物が入ったボールを動かそうとする女性などの存在が、見る人の視線を移動させ、絵画的な奥行きを出しています。さらに、赤、黒、青、オレンジ、紫という鮮やかで大胆なフォービスム的な色彩構成になっています。
マティス「赤のアトリエ」(1911年)ニューヨーク近代美術館

「赤いアトリエ」は、1909年にマティスが設立したアトリエ内部を描いた室内風景画です。画面全体を錆びた赤色で力強く塗りつぶすように描いているのが特徴です。
絵画や装飾品などは、ひとつひとつしっかり描かれているが、椅子やテーブルなどの家具に関しては、黄色い輪郭線だけで単純化されている。絵画や装飾品はマティスの初期作品のことを暗示し、黄色い輪郭線だけの単純化した家具は現在のマティスを暗示して、過去と現在のギャップを強調していると見られます。
画面の左下には卓上があるが、鑑賞者が部屋の隅から見下ろしているかのように、卓上の端がはみ出すように描かれている。画面中央には大きな古時計が配置されているが、これはスタジオ内の空間的不連続性のバランスと調和をもたらすための中心軸の機能を果たしています。
室内家具は、広大な赤い空間から浮き上がるように輪郭線が黄色で描かれ、また、平面的な赤い面の上に遠近感や奥行きを出すよう角度を付けています。平面的に塗られた赤い絵具と対照的に、室内家具は白、青、緑などの絵具を使っており画面全体における色のバランスを意識しているのがわかります。
「赤のアトリエ」は、マティス初期作品の集大成と言われて、フォービスムや印象派、後期印象派と、これまでマティスがたどってきた芸術スタイルを融合させた上で、独自の感覚を反映させた作品となっています。
画面は全体的に赤で塗りつぶされ、奥行きを感じさせるような構成と色彩が特徴的です。配置されている単純化されたオブジェクトは、輪郭線のみで描かれていても確かな実在感があり、マティスの新しい境地を開いた作品ともいえるでしょう。フォーヴィスム(野獣派)と呼ばれる活動の代表的な存在であり、自身の感情を独自の色彩感覚で描いた作品を次々に生み出し、マティスの大胆な色彩はまさに「色彩の魔術師」に相応しいです。
キャンバス全体を赤で占有した『赤のアトリエ』は、のちにマーク・ロスコやバーネット・ニューマンなどの抽象表現主義のカラーフィールド・ペインティングの作家たちに多大な影響を与えました。
マティス「赤の大きな室内」(1948年)ポンピドゥーセンター

マティス「黄色と青の室内」(1948年)ポンピドゥーセンター

現在東京美術館でパリのポンピドゥー・センターの全面的な協力を得て開催されているマティスの大規模な回顧展に展示されている作品の中でも、屈指の傑作といえる作品です。
これらの作品の見方は同様の理念で描かれた作品ですので、作品の見方は、『赤いハーモニー』『赤のアトリエ』の説明をご参照ください。
マティス「金魚」(1912年)プーシキン美術館

金魚そのものを主題とした唯一の作品です。青色とオレンジ色、緑色と赤色は補色と呼ばれ、組み合わせることで明るさを表現できます。この作品ではその補色が有効的に使われており、マティスの色彩に対する深い理解が感じられます。
この絵はマティスがモロッコを訪れた際、現地の人々が飽きずにずっと金魚を眺めている光景に感銘を受けて描かれたと言われており、マティスの感じた平穏が色彩で表現されているといえます。
金魚はその色のためにすぐに私たちの目をひきます。輝かしいオレンジ色の身体と、水槽を取り囲む背景や周囲の青緑と希薄なピンクのテーブルが対照的である。青色とオレンジ色、緑色と赤色は補色であり、隣り合って配置されることで明るく見えます。
マティスが金魚に関心を持ったきっかけは、モロッコのタンジールに滞在したとき、そこで地元の人たちが何時間も水槽の中の金魚をずっと眺めているモロッコ人のライフスタイルを賞賛し、モロッコのライフスタイルこそ瞑想的で人生をリラックスして過ごしているように感じたということです。マティスにとって金魚とは平穏な精神状態を象徴するモチーフだった。
「金魚」と「生きる喜び」との構図の類似性
金魚はマティスにとって「楽園」や「パラダイス」と関連があるとも指摘されています。この作品の構図と彼の楽園的な絵画の代表作である「生きる喜び」の構図は、描かれているモチーフこそ異なるものの非常によく似ています。また「金魚」という名称は、牧歌的な黄金時代の理想の住人を想い起こさせます。
アンリ・マティス、「装飾的な背景上の装飾的な人物」(1925年 - 1926年)
ポンピドゥーセンター、パリ国立近代美術館

この絵は、抽象的で平面的な背景を背に、半立体的な女性の姿や静物が描かれています。
マティスの絵を見るといつも思うのが、遊び心にあふれていながら絵の本質を鋭く突いていることです。
この絵も抽象的で平面的な背景を背に、半立体的な女性の姿や静物が描かれています。画家が技法上の冒険を冒すと悲惨な結末を迎える可能性も充分にある中で、マティスの遊び心は、あえて絵の基本技法を破ることで、生き生きとしたリズムや動きを絵に与えています。
遊び心は絵の本質を鋭く突いていて、絵の基本技法を破っても、色彩や構図の面白さはまったく破綻することなく、卓越した色彩感覚や造形感覚から絵に強烈な説得力を与えています。唐草模様の幾何学的な形や人体の曲線が溶け合って、多種多様な色を使って、色彩の配色は対比の面白さを生み出し、生き生きとしたリズムや動きを絵に与えています。研ぎ澄まされた感性は、決して絵に冷たい感覚をもたらすことはなく、線のタッチや色彩にも温かさが潜み、生活空間に溶け込み、心地よい刺激を与えています。色調のバランスが優れ、驚くべき「造形感覚」と「閃めき」、構図の面白さと美しい色彩のハーモニーが奏でる音楽的調和が生み出す、心地よい音楽的なリズムが絵にすんなりと溶け込み、マティスの絵の魅力となります。マティスが自らの感性を信じて描いて出来上げたこの造形感覚や調和、閃めきに驚かれ、ため息が出ます。マティスの傑作には魅了されてやまない感動があります。
マティス『ルーマニアのブラウス』(1939- 1940 年)

1939 年 10から6か月間、このキャンバスの制作に取り組みました。パターンの起源は、モデル、リディア デレクタースカヤが袖の広い刺繍入りブラウスを着ていました。「黒髪で美しく、頭の回転が速い」ミシュリーヌ・パヨに倣って、この絵に多かれ少なかれ直接関係する他の多くの習作作られたようです。
マティスは、この絵の長い発展の中で最も重要な段階のいくつかを、同じモデルによってポーズをとって、意図的に教訓的なアプローチで、これらの写真の11枚の大きな額入りプリントがマーグト・ギャラリーの壁にキャンバスの周りに掛けられました。これは、マティスが達成した「単純さ」が奇跡的に得られたものではなく、困難な消去法の結果です。
20世紀の偉大な芸術家アンリ・マティスとピカソ最初の前衛運動のフォービスムは個人的で分類不可能な芸術となりました。
若いマティスはパリに行って法律の学位を取得し、その後短期間弁護士として働きましたが、1889年に芸術の勉強に「熱中」しました。芸術の虜になったマティスは、ルールに従わずに絵を描く若者たち、ドラン、ヴラマンクらに出会って、自由な色彩の使用、表現力豊かな活力、そして単なる自然の模倣であることの拒否に基づいた、新しく未知の絵画言語を手に入れました。
これらの対照的な色彩、およびアフリカの彫刻やその他の原始文化の影響は、この時期の画家の共通点となりますが、1920年代に向けて画家はもう少し穏やかになり、官能性、装飾、伝統に向かう傾向が見られました。
成功を収めたマティスは、同僚でありライバルのピカソと同じように、絵を飛ぶように売りました。そしてこれと同じように、彼には何よりも弱点が 1 つありました。それは女性です。彼は健康状態が悪く、常にベッドの上か車椅子に乗っていまし。実際、彼はスタジオの中央にベッドを置き、そこは若い女性、モデル、管理人でいっぱいで走り回っていました。彼の妻アメリは何もできませんでした。
マティス「花と果実」(1952-53年)ニース市立マティス美術館

「花と果実」は晩年のマティスの代表作です。大きさが約4.2×8.7mもあるかなり巨大な作品で、1952年にロス・アンゼルスにある豪邸のパティオを飾るタイルに施された壁画用の切り絵です。
大胆な色彩表現で頭角を現したマティスは、人生の後半を過ごしたニースで、アトリエで様々なモデルやオブジェを精力的に描くいっぽうで、線の単純化、色彩の純化を追求した結果、切り絵に到達しました。マティスにとってはさみは鉛筆以上に素画に適した道具となりました。『ジャズ』シリーズなど、色が塗られた紙をハサミで切り取り、それを紙に貼り付ける技法「切り絵の作品」を多数残しています。切り絵ならではのエッジの鋭さがあり、鮮やかな色彩で花びらや果実がリズミカルに並んでいる作品といえます。
『フランスが誇る大芸術家マティス』
アンリ・マティスの生誕150周年を祝った「色彩の魔術師」ポンピドゥーセンターで4か月間大規模な回顧展が開かれました。その膨大で変幻自在な作品が20世紀初頭の西洋美術に大きな転換点をもたらしたこの色彩の巨匠の魅力的な物語を「小説のように」再訪することを目的としていました。
アンリ・マティスは、世界中の人々の心を捉えて離さない20世紀を代表する画家です。アンリ・マティスは、作風や技法を常に変化させ、彫刻やステンドグラスを含め多くの作品を遺した偉大な芸術家が創作し、暮らした地を辿り、希望の色と光を私たちに与え続け、私たちはアンリ・マティスの作品に惹かれ続けます。
マティスの場合は画家でありながら魅力的なデザイン的要素を過不足なく持ち合わせており、ある意味で後のグラフィックデザインの源流を作った人ともいえます。
ロザリオ礼拝堂(ヴァンス)
色と光が祈りを包む、マティスの最高傑作であり、アンリ・マティスが“生涯の傑作”と自ら評した「ロザリオ礼拝堂」(ヴァンス)です。

マティス理想の空間『ロザリオ礼拝堂』(ヴァンス)
手前中央、白壁に青い屋根の建物が礼拝堂。右隣のオレンジ色の屋根がミュージアム、左隣の塔のある建物が、シスター・ベルナデットが暮らす修道院。
「マティスがこの礼拝堂を構想したのは、テリヤード社から精力的に本を出版した時期のすぐ後。彼は空間を本の見開きに見立て、タイル画とステンドグラスを向かい合わせて配置しました。黒で描かれたタイル画は、修正のきかない一発勝負。目をつぶっても描けるようになるほど、何度となく習作を繰り返しました。特に冬の午前中の低い光を受けると、タイル画にステンドグラスが美しく映り込み、空間全体が色と光で満たされます」。
影のない、色と光だけの明るい空間は、意外なほど眩しさを感じさせず、祈る人をふんわりと優しく、温かく包み込むかのようです。この境地こそが、マティスが求めていた歓びなのかもしれません。会衆席の背後に掲げられた『十字架の道行』。その過酷さを表現するため、マティスは敢えて荒々しい筆致で描いたといいます。
影のない、色と光だけの明るい空間は、意外なほど眩しさを感じさせず、祈る人をふんわりと優しく、温かく包み込むかのようです。この境地こそが、マティスが求めていた歓びなのかもしれません。会衆席の背後に掲げられた《十字架の道行》。その過酷さを表現するため、マティスは敢えて荒々しい筆致で描いたといいます。
ニースから車で30分ほどの小高い丘の住宅地に建つ礼拝堂を、マティスは“生涯の傑作”と自ら評しました。
「それは、ドミニコ会の若い修道士、ルイ=ベルトラン・レシギエ修道士との出会いから始まりました。この礼拝堂の設計監修はル・コルビュジエの師であるオーギュスト・ペレが担当しましたが、設計そのものは、マティスの意を汲んだレシギエ修道士によるものです」と話すのは、ドミニコ会のマルク・ショヴォー修道士。礼拝堂隣にあるミュージアムの監修も務めています。
ニースから車で30分ほどの小高い丘の住宅地に建つ礼拝堂を、マティスは“生涯の傑作”と自ら評しました。
「それは、ドミニコ会の若い修道士、ルイ=ベルトラン・レシギエ修道士との出会いから始まりました。この礼拝堂の設計監修はル・コルビュジエの師であるオーギュスト・ペレが担当しましたが、設計そのものは、マティスの意を汲んだレシギエ修道士によるものです」と話すのは、ドミニコ会のマルク・ショヴォー修道士。礼拝堂隣にあるミュージアムの監修も務めています。
リヨン郊外にあるル・コルビュジエ設計のラ・トゥーレット修道院に所属し、同院での展覧会のキュレーションも務めるマルク・ショヴォーさん(ドミニコ会修道士、美術史家)は「ロザリオ礼拝堂」(ヴァンス)について、次のように語っています。
「マティスがこの礼拝堂を構想したのは、テリヤード社から精力的に本を出版した時期のすぐ後。彼は空間を本の見開きに見立て、タイル画とステンドグラスを向かい合わせて配置しました。黒で描かれたタイル画は、修正のきかない一発勝負。目をつぶっても描けるようになるほど、何度となく習作を繰り返しました。特に冬の午前中の低い光を受けると、タイル画にステンドグラスが美しく映り込み、空間全体が色と光で満たされます」。
影のない、色と光だけの明るい空間は、意外なほど眩しさを感じさせず、祈る人をふんわりと優しく、温かく包み込むかのようです。この境地こそが、マティスが求めていた歓びなのかもしれません。
ロザリオ礼拝堂(ヴァンス)について、『聖ドミニコ』の正面に位置する修道者席内の自席に座る修道院長のシスター・ベルナデットは、「顔を上げると、常に正面の、『聖ドミニコ』が目に入ります。やはり午前中がとても美しいですね。」と語ります。
晩年、マティスは南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の内装デザイン、上祭服のデザインを担当し、この礼拝堂はマティス芸術の集大成とされています。切り紙絵をモチーフにしたステンドグラスや、白タイルに黒の単純かつ大胆な線で描かれた聖母子像などは、20世紀キリスト教美術の代表作と目されています。
(文字をクリックすると、マティス展に展示された絵画を見ることができます。)
参考文献
米田 尚輝(著)「アンリ・マティス作品集」2023年、東京美術
アンリ・マティス(著) 二見史郎(訳)「マティス 画家のノート」2023年
天野知香(著)「もっと知りたいマティス」2016年、東京美術
Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典
Matisse, Goldfish(article) | Khan Academy
尾野 正晴 饗庭 孝男 中村 一美 関 直子 辰野 登恵子 加藤 瑞穂
「マティスのロザリオ礼拝堂」1996年
ブログをご紹介いただき、ありがとうございました。
読み応えがありました。
知識のない私ですが、順に追って作品のご紹介、
背景や特徴、ポイントが的確でとてもわかりやすく
おもしろく拝見しました。
ロザリオ礼拝堂や海外で見た作品の深いところまで
知ることができ、何度か読み返したいと思います。
すばらしいマティス論でした。
ありがとうございます。
同じものを鑑賞しても貧弱な感想しか書けない私にとってはとても勉強になります。
ありがとうございます
初めてマティスの作品に出会ったのは
「エルミタージュ展」の「赤いハーモニー」でした。
依頼者の要望で青く塗りつぶすようにと注文されましたが
青ではなくマティスが好きな赤に塗り替えた絵が
窓の景色や人物、壁や食卓が平面的なのに
奥行を感じ、強い色を多用しているにもかかわらず
心地よい空気感を感じました。
沢山の展示があった中でも特に印象に残る作品でした。
今回はマティスの生涯にわたる作品を掘り下げ
充実した展示や教会の映像と共に鑑賞でき
感銘を受けました。
desireさんのブログで詳細な解説を読ませていただき
ありがとうございました。

今回のマティス展では、ポンピドゥーセンターがでしてくれる作品だけを展示した、という感じでした。
あれでは、マティス芸術の魅力はどこにあるのか、正直分かりませんでした。
レポートを拝読して、マティスが「色の魔術師」とし呼ばれるにいたる才能と魅力が理解できました。
ありがとうございます。

dezireさんがレポートしてくれないかと心待ちにしていたところ、マティスの芸術を見事に分かりやすく解説されたdezireさんがレポートのご紹介をいただき、今までモヤモヤしていたマティスの芸術の全体像が見えてきました。
相当いろいろな本を読まれて、日本の美術本に書いていないようなマティスの芸術の流れが良く分かりました。
ありがとうございました。
20年前には国立西洋美術館でのマティス展に行き、
今回は東京都美術館で同じ作品に再び出会うことができ、その悦びと感動はまだまだ心に熱く残っています。マティスの色彩の楽しさも好きですが、一枚の絵画を完成させるまでのさらさらと描いた数々の素描を見るのも好きです。
dezireさんのレポートを読んでマティスの絵画をより深く知ることができました、ありがとうございます。

マティスの美術の全貌を独自の視点で分かりやすくまとめたレブュー、大変勉強になりました。
ありがとうございます。
マティスの若き日の絵画を初めてみました。は、写実的で、絵画基本がしっかりした名人芸ともいえる作品感心しました。
抽象的な傑作を残ししたピカソも、若き日の絵画は、マティスと同様に名人芸だったと思っていました。
前衛的な絵画を描くためには、デッサン力など絵画の基礎的な技術が優れていなければ、しっかりした芸術作品にはならないのでしょうね。

前から思っていたのですが、
これだけのマティスの総説をかけるのは、画家のこと、作品のことなどに関する知識がないと書けないと
思うのですが、相当の本や文献を読んで知識を得ておられるのでしょうね。
評論に関しては自分の感想などをきちんと文章にする力が必要と思うので、すばらしいと思います。芸術に関する文章は、さすがに素晴らしいですね。


マテイスのレポートは大変な力作で、内容も凄いですね。
マテイスの芸術を良く勉強されているのに驚いています。
マテイスの絵画は、忠実再現とは違う世界ですが、マテイスの目には、そのように写っていたのでしょうね。天才の天才たる所以かと思います。

「私が夢見るのは均衡が取れた純粋で安らぐ芸術である。
不安を与えたり、気が滅入るような主題ではなく、ビジネスマンから文学者まで神経を神経を使う仕事についている人たち全てにとっての精神安定剤、例えば体の疲れを癒す心地の良い肘掛け椅子のような芸術である。」とマティスは語っていましたが、鮮やかな色使いと抽象化された人物や物体により、自分自身や日常生活と共通する要素を感じることができました。なんとなく懐かしい感覚を呼び起こす絵が多く展示されていました。
特に心を打たれた作品が二つあります。「夢」という作品の中でアシスタントの方をモデルに描いている絵で、とナチス時代から晩年にかけてのヴァンス室内画シリーズの中の「マグノリアのある静物」という作品でした。
マティスは自身を「実験と冒険を好む冒険家」と言っていたそうでかが、作風を追求しながら作風を変え、絵を描き、楽しみながら冒険と研究を進めていくその生き方は本当に素晴らしいと感じました。






1905年のときから作風がガラリと変わったのが驚くほどです。それまでの絵はよく見かける
ような絵でその延長で成長していったなら大家との評価もなかったように思われます。
テレビによると南仏のスペインとの国境に近い町であるコリウールというところを訪れていますが、
海の色はまさにターコイズ色、それに家の塗装が原色でなされているところです。帽子の女の
顔の右側はテレビで見るとまさにターコイズの色でした。私は一時水彩画をやっていましたが、
顔に原色の緑色を塗るというのは聞いたことがありません。肩の肌にも緑色を多用して、全体
の調和が取れているのは実に見事です。コリウールの風景がこのように原色で出来ていたので
おそらくはこのアイデアが生まれたのではと思います。
最後の方のロザリオ礼拝堂ですが、一般の教会の暗さが全くなく、実に見事な明るさです。
角になりすぎるとサクラダファミリア的で私はやや嫌味を感じるのですが、鮮やかな青と
黄色を使いながら嫌味というより爽やかな感じを受けます。ここでバッハの教会曲を聞けると
最高でしょうね。ピリオド楽器を使いながらモダンさを感じるガーディナーの演奏が合いそう
です。アンリ・マティスを再認識できたことに感謝いたします。

テレビによると南仏のスペインとの国境に近い町であるコリウールというところを訪れていますが、海の色はまさにターコイズ色、それに家の塗装が原色でなされているところです。帽子の女の顔の右側はテレビで見るとまさにターコイズの色でした。
私は一時水彩画をやっていましたが、顔に原色の緑色を塗るというのは聞いたことがありません。肩の肌にも緑色を多用して、全体の調和が取れているのは実に見事です。コリウールの風景がこのように原色で出来ていたのでおそらくはこのアイデアが生まれたのではと思います。

角になりすぎるとサクラダファミリア的で私はやや嫌味を感じるのですが、鮮やかな青と黄色を使いながら嫌味というより爽やかな感じを受けます。
ここでバッハの教会曲を聞けると最高でしょうね。ピリオド楽器を使いながらモダンさを感じるガーディナーの演奏が合いそうです。アンリ・マティスを再認識できたことに感謝いたします。
上野のマティス展の中に転機となった1905年の作品は出展されてなさそうですね。