権力者の愛と孤独、闘いと死のドラマは愛と平和を叫ぶ、ヴェルディの革新的オペラ
Verdi “Simon Boccanegra”

開運共和国ジェノヴァを舞台に、父と娘の情愛、権力闘争をテーマとしたジェノヴァ総督の歴史的題材は、フリードリヒ・シラーを含むさまざまな詩人の文学品に使用されました。ヴェルディは、ドイツの劇作家を高く評価し、初版から書き直して24年を経て3人のバリトンとバスが活躍し、低温の魅力を存分に味わえる円熟のロノン・オペラに完成しました。
開運共和国ジェノヴァを舞台に、父と娘の情愛、権力闘争をテーマとしたジェノヴァ総督の歴史的題材は、フリードリヒ・シラーを含むさまざまな詩人の文学品に使用されました。ヴェルディ中期にあたる43歳のヴェルディが、作曲し、24年後の大幅改訂で一躍成功を収めた『シモン・ボッカネグラ』は、14世紀に実在した初代ジェノヴァ総督シモン・ボッカネグラを題材とし、平民派と貴族派の争いに、父娘や恋人の愛が入り組むドラマが力強い音楽で一気に展開します。ドイツの劇作家を高く評価し、初版から書き直して24年を経て3人のバリトンとバスが活躍し、低温の魅力を存分に味わえる円熟のロノン・オペラに完成しました。
権力の座についた一人の男の愛と孤独、闘いと死をドラマチックな歌曲と25年という壮大なタイムスパンで描き上げる一大叙事詩です。晩年のジュゼッペ・ヴェルディが、アッリゴ・ボーイトの書く台本に、文学的な洗練の度合いを深めた。陰影の深い言葉の数々に特徴づけられる晩年のヴェルディ作品には、ワーグナーからの影響あると言われ、レチタティーヴォとアリアの区別を排するような音楽とドラマが一体となった無限旋律的要素が見られます。それらの中に、アリア的な聴かせどころがなくなったわけではありません。しかし、そのヴェルディの手法からは、1871年にボローニャで接したと言われる『ローエングリン』の影響がみられます。ワーグナーの諸作とその理論を早くからイタリアに紹介した世代が若い、新しいものに目が開かれていたボーイトであれば、ヴェルディが1850年代の後半から自身の創作に必要な要素としていた、登場人物の心理的陰影を描き尽くす言葉を提供することができたのでしょう。それらはワーグナーの諸作にもすでに含まれていたものですが、ボーイトはそれらを、よりヴェルディの音楽様式に合わせた、コンパクトなかたちで書くことができたのです。
プロローグ
14世紀半ばのジェノ共和国では、貴族と平民が対立、平民派の野心家・パウロは総督に元海賊のシモンを推薦、自らも高い地位を狙う。貴族フィエスコは、娘マリアが平民派のシモンと恋仲になり子供をもうけたことを赦さず、娘を城に幽閉。シモンはフィエスコと和解を乞うが、子供を差し出すことを条件と言われる。しかし子供は行方不明、やがて愛するマリアの死を知る。おりしも「ボッカネグラ、万歳」の歓声。
【第1幕】
グルマルディ伯爵令嬢アメーリアは、今は貴族のガブリエーレと恋仲。ガブリエーレはアンドレ―ア老人に結婚を申し込みますや。この謎の老人は、伯爵夫人の死後親代わりだが、彼女は実は本当の令嬢が死んだ日に拾われた孤児だと話します。二人が去り、現れた総督シモンに、アメーリアが身の上話をします。やがて彼女がずっと探し求めていた娘だと知り、父娘の涙の対面となる。パウロは、主君シモンからアメーリアとの結婚は諦めろ、と言われるが、なお引き下がらず、彼女の誘拐を決意します。
左右に貴族派、平民派が並ぶ議会。そこに暴動勃発の報が届く。総督反対暴動派のガブリエーレが議場へ。アメーリア誘拐犯の首謀者をシモンと思い込み斬りかかるのを制したのは、誘拐の難を逃れたアメーリア。総督は、パウロに犯人への呪いをかけさせ、暴徒の処置を任せます。
【第2幕】
パウロは牢から逆徒ガブリエーレとアンドレ―アを出させ、その間にシモンの水差しに遅効性の毒を注ぎます。アンドレ―アをフィエスコと見抜き、シモン暗殺を唆すが拒絶されます。ガブリエーレは、アメーリアが総督に弄ばれていると嘆きます。彼女はシモンに、ガブリエーレへの愛を告白。自分の政敵を愛する娘・・・・・。一人になり水差しの水を飲みます。剣を抜き、忍び寄るガブリエーレをアメーリアは止め、気づいたシモンは真実を語ります。後悔し忠誠を誓うガブリエーレ。
【第3幕】
総督の宮殿内。シモン暗殺の企みと反乱の科でパウロは死罪。アンドレーアは釈放します。シモンの前で自分は死んだマリアの父親、フィエスコと名乗ります。シモンは25年前の和解条件を思い出し、娘アメーリアこそ貴殿の孫娘で告げます。先刻の毒の回ったシモンは、ガブリエーレを新総督にと遺言し、息絶えます。
ヴェルディの音楽
『シモン・ボッカネグラ』とともに、ヴェルディは音楽劇の構想において大きな一歩を踏み出しました。 ヴェルディは、10 年前に『マクベス』で始めた音楽劇への道を一貫して歩み続けました。驚くべきことに、ヴェルディはマクベスの後、さらに一歩後退し、ボッカネグラで再び道を歩み始めるまで、「ポポラーレのトリオロギア」を含む 10 曲のクラシック ナンバー オペラを熱心に書き上げました。 『シモン・ボッカネグラ』後も、『仮面舞踏会』とともに別の古典的なオペラが続きました。
音楽劇の概念において、ヴェルディは各場面を劇的かつ音楽的な単位として扱いました。 レチタティーヴォとアリオソのパッセージ間の分割は流動的になります。オーケストラの重要性が増し、ヴェルディは表現力を増し、存在感を増し、多くの観劇客がこのオペラで見逃している声の勇ましさを犠牲にしています。 ヴェルディが音楽劇のコンセプトをいかに一貫して実現しようとしていたかを知るためには、一般の聴衆が決して高く評価しなかった古典的なアリアが主人公に割り当てられなかったという事実は、言及する価値があります。
ヴェルディはそれぞれのオペラに、いわゆる「ティンタ・ミュージカル」という特有の性格を与えました。 このオペラでまず特筆すべきは、さまざまなレベルで起こる闇です。それは照明の演出から始まり、(古典的なナンバーのアリアを犠牲にして)歌声の宣言的なデザイン、そして声の選択へと進みます。アメリアは6人の男性の声の軍隊と並ぶ唯一の女性の声です。 これには、主要な役割がテノールやソプラノではなく、劇的な性質と永続的な高音の安定性を備えたバリトン声、いわゆるヴェルディ・バリトンに割り当てられたという事実が含まれます。

ヴェルディは手紙の中で、ボッカネグラの主役はリゴレットの「千倍も難しかった」と書いている。 バリトンには超人的な要求が課せられます。 最も繊細な抒情性や誇り高き厳粛さから、劇的な爆発や高音域まで、歌手は人間のあらゆる感情をその声で表現できなければなりません。
ヴェルディはボッカネグラを初期の「イタリア人」で統一者として紹介していますが、それはもちろんリソルジメントの政治的状況によく当てはまります。作曲当時、ガリバルディが非正規兵とともにシチリア島で自由を求める戦い(いわゆる「千人の列車」)を始めるまで、わずか3年しか経っていませんでした。
ヴェルディは前奏曲に、リグリアの蒼い海を静かに見つめながら、シモンがみずからの苦悩に静かに耐えるかのような音楽に、初演から四半世紀を経て、真の巨匠となった作曲家が、本当に語るべき言葉を手に入れたという自負の念が感じられます。このオペラは、権力の座についた一人の男の愛と孤独、闘いと死をドラマチックな歌曲と25年という壮大なタイムスパンで描き上げる一大叙事詩です。
プロローグにおけるシモンとフィエスコの二重唱は、単なるリズムの刻みだけだった伴奏は、遙かに雄弁な音楽へと変貌しています。ヴェルディにおける男性低声の二重唱といえば、『ドン・カルロ』におけるフィリッポ二世と宗教裁判長の場面におけるそれが圧倒的存在感を放っていますが、それに匹敵する場面は初稿の段階でできあがってはいました。しかし、この『ドン・カルロ』の作曲を経て、オーケストラの迫力を増す書法を手に入れたことで、歌唱もまた、真に迫った、登場人物の葛藤を描く劇的な音楽へと生まれ変わったのです。オーケストラの改訂だけで、ここまで聴き手に対する印象を変えることのできた最高の例です。
第2幕、アメーリアがシモンの娘だとガブリエーレが知った後の三重唱、第3幕、再開したシモンとフェスコの二重唱は、それぞれの思いが複雑に絡み合った魂の饗宴になり、このオペラがヴェルディの到達した深みに照準があたり、最高に輝く瞬間のようです。
最初の作品では、暗さと音楽劇的な構造が、同時代の人々の批判を浴びました。ヴェルディは、20年後、アリゴ・ボイトに合理的な台本を作るよう依頼した。 1881年の新版ではオテロ時代のヴェルディの音楽構造を少し変えるだけで済んだため、20年以上前にヴェルディがボッカネグラで音楽劇の点ですでにどこまで進んでいたかが明らかになりました。シモン・ボッカネグラは愛されるというより賞賛されており、マクベスと同様に、ヴェルディの最も賞賛される作品の一つです。
ヴェルディの音楽と舞台の演出
現代オペラ界屈指の演出家ピエール・オーディさんの演出、国際的に高い評価の現代アーティスト・アニッシュ・カプーアさんが共同で舞台芸術を創り上げました。
【プロローグ】
赤と黒の三角の帆を背景にしたプロローグ・海洋国家ジェノヴァの船の帆を象徴するかのように、床や天井から突き出す三角のモチーフで構成されています。色は赤と黒が基調で、薄暗い照明の中に浮かび上がる舞台は物騒な雰囲気。平民と貴族の対立が数々の悲劇を生んできたからでしょうか。また、帆の三角モチーフは、元海賊の主人公シモンの出自をほのめかしているようでもあります。
ここでは2つの重要な出来事が起こります。1つは、平民派のパオロに推されてシモンが総督に就任すること。もう1つは、シモンが懇願するにもかかわらず、貴族であるフィエスコは、どうしても娘マリアと彼との結婚を許さず、そうこうするうちにマリアが亡くなってしまうということです。この2つの出来事は、シモンがついに毒殺されるまで続く深い孤独へのプロローグとなります。そのような渦中に響く、穏やかな顔をした海のような旋律や、フィエスコの沈痛なアリア「引き裂かれた父の心は」などは、ヴェルディの音楽らしいところです。
スペインのアラゴン、アリアフェリア城の城門の内部。おどろおどろしいティンパニーの連打に続いて、華やかなファンファーレが高らかに鳴り響く。短い印象的な前奏。ルーナ伯爵の衛兵隊長フェランド伯爵家の逸話を始めます。
14世紀中頃のジェノヴァ。海の帆を表す穏やかなメロディーの短い導入部に始まり、幕が開きます。平民派の首領パウロとピエトロが密談。平民派パオロはシモン・ボッカネグラを総督に就かせ貴族派から政権を奪還するため画策します。シモンは、パウロに説得され、シモンも貴族の娘マリアとの結婚の許しを得るため、総督立候補を決意します。
シモンが去った後、ピエトロは水夫や農夫たちの男声合唱を引き連れて登場。フィエスコの宮殿を指し、「あの陰気な屋敷を見るがいい。」と歌い、不幸な美しい娘が閉じこめられていることを話して同情を誘い、選挙では平民派のシモンに投票することを呼びかけます。
ヤーコポ・フィエスコによる「誇り高き宮殿よ」のモノログが始まります。宮殿の製造に祈りをささげながら、自分と娘の悲しい運命を嘆き、「あわれな父親の苦悩する心は。」と歌います。マリアに重なるように、マリアの死を悼む人々の合唱が聞こえます。短いアリアだが、死にゆく娘の苦悩が歌われます。
ヴェルディは、アリアをドラマの一環としてとらえ、この重曹なアリアでも、娘を失ったフィエスコの悲痛な思いが表現されています。父フィエスコに幽閉されていたマリアは既に病死していました。結婚の許しを請うシモンに、フィエスコの態度は冷たい。バスとバリトンの激しい対話の二重唱が始まります。この場面はとりわけ緊迫感が溢れており、男性のドラマとしてのシモン・ボッカネグラの性格を明確にし、終幕の二重唱とも見事に対応しています。この作品の中で、男の「対立」と「憎悪」は重要なテーマです。
義理の父フィエスコは、娘を奪われたと一方的にシモンに憎悪を抱いています。それに戸惑うシモン。娘の死を隠し、娘とシモンの間に生まれた子を渡すよう要求します。マリアとシモンの間に生まれた子について問われ、シモンは「そのかわいい娘は、海辺の見知らぬ人の間で育ちました。」娘は行方不明であった。それを聞いて、フィエスコは怒って退場。
戸が開いたままのフィエスコの宮殿に入ったシモンは、マリアの亡骸と対面します。驚くシモン、復讐を誓うフィエスコ、そして「シモンを総督に」と民衆の声が次第に大きくなり、「シモン万歳」の歓声が響く中、幕が下ります。喜びと悲しみが相半ばするシモンの演技が見どころです。
【第1幕】
ジェノヴァ郊外のグリマルディ家の庭園。25年という年月が経っています。ここからは、不気味な赤黒い火山、逆さ火山の下で展開する特大の苦悩と愛憎が、常に登場人物たちの頭上から大きな火口を広げて鎮座しています。エトナ山を思わせるこの火山は、たまに煙を吐き、いつでも人間たちを飲み込めるように待機しているような恐ろしい存在。この息詰まるような状況下、愛と平和の象徴としてその美しい歌声で私たちを魅了するのがアメーリアです。孤児としてグリマルディ家に拾われて育ったシモンの娘です。シモンの娘マリアは孤児としてグリマルディ家に拾われアメーリア・グリマルディとなり、アンドレーアと名乗るフィエスコに養育されていました。
遠くにジェノヴァの海を望む庭園に、成長したアメーリアがたたずんでいます。海面が沸き立つ泡を描写したような、美しいメロディが響く。木管を中心としたオーケストラの前奏に続いて、ハープの伴奏にのりアメーリアが歌い出します。
「暁に、星と海は微笑み・・・・」
アメーリアは、寂しい孤児の身の上と、愛する人を得た喜びを美しいメロディにのせて歌い上げます。アメーリアの優しい性格がここで表現されます。
男同士の政治的、人間的闘いをテーマとした作品の中で、アメーリアは純白の百合の花に似た、一服の清涼剤的存在です。
舞台裏からハープの音色に乗せて、恋人ガブリエーレ・アドルフが歌い出します。
「星のない空、花のない牧場は、愛のない心」は、二枚目役による甘いセレナーデ。ガブリエーレは、はやる心を抑えながら登場。アメーリアと熱い抱擁を交えて、二重唱に入ります。
アメーリアが「空の青さをごらんください。ジェノヴァにいる敵に勝とうと思わず、愛のことだけ考えて・・」と二重唱を歌います。ガブリエーレも甘い旋律で応えます。途中で劇的な対話風の独唱が入り、二重唱の後半はテンポが速くなり (カバレッタ・速く輝かしい音楽)、アメーリアは、総督は部下と結婚させようとしているので、ふたりだけで結婚式を挙げようと語り、ふたりは永遠の愛を誓います。
典型的な優美な旋律のデュエットで、管弦楽もたんなる伴奏を脱した充実した響きが楽しめました。
アメーリアが退場し、アンドレーア(フィエスコ)が現れます。フィエスコはアンドレーアに、アメーリアは孤児だと伝え、「身の上を知っても、愛は変わりない」というガブリエーレをフィエスコが祝福し、バスとバリトンのゆっくりとしたテンポの美しい二重唱となります。

シモンとアメーリアが登場します。この作品の最大の見せ場の一つ、父と娘の25年ぶりの再会の場面です。シモンはアメーリアに優しく心境を語ると、アメーリアはそのやさしさに甘えて、孤児だった身の上を語り始めます。
総督シモンはアメーリアのしみじみとした身の上の告白に驚く父・シモン。それぞれが持っている肖像画を見せ合い、彼女こそ行方不明の娘と気づき、父娘は再会を果たす。「貧しい一人の女に・・・娘よ、その名を呼ぶだけで胸が躍る・・・・」バスとソプラノによるまさに天国的美しさの二重唱です。音楽は急激にクライマックスに。抱き合うふたりの胸の鼓動が伝わってくる、弾むような旋律でシモンが歌う「お前に地上の楽園を」という言葉が印象的です。ハープの旋律にのせて「お父様」「娘よ」と声をかけながら、ふたりは別れます。長く引く後奏が美しい。アメーリアの身の上を聞くうち彼女こそ行方不明の娘と気づいたシモンとアメーリアの再会の二重唱からは、上空の火山を吹き飛ばさんばかりの歓喜が溢れます。
パオロもアメーリアとの結婚を望みますが、シモンにそれを拒絶します。パオロはアメーリアを誘拐するしかないと、ピエトロを仲間に引き入れます。パウロとピエトロの短い会話。
第2場
幕の内容を暗示する緊迫した音楽で始まります。貴族派、平民派の評議員がそれぞれ12人左右に並ぶ豪華な議会の中で、シモンと悪役パウロが一騎打ちする緊迫した場面。シモンはヴェネツィアとの和平を提案し、会議にかけます。
「諸君、ダッタンの国々が・・・」
外で暴動が起き、ガブリエーレがアメーリア誘拐の実行犯を殺害して、民衆に追われ、フェスコと共に議会に引き立てられます。ガブリエーレはアメーリア誘拐した首謀者をシモンと糾弾し剣を抜いて切り掛かかります。逃げてきたアメーリアが制します。シモンはこれまでの経過を問われて、アメーリアが語り出します。
「甘い時間にうっとりとした気分にになって・・・・」ロレンツォにさらわれたが、もっと悪い奴かいる、と彼女はパウロをキッと見据えます。またも両派が争いを始めた時、シモンは威厳に満ちた演説を行います。
「平民たちよ、貴族たちよ、・・・」激しい調子でシモンは平和と愛を訴え、人々はシモンの演説に心打たれます。
第1幕のクライマックス、フィナーレを迎え、シモンのアリアに続いて、アメーリア、ガブリエーレ、ピエトロ、フェスコの6人がそれぞれの心境を歌い、合唱がそれを唱和する華やかな幕切れ。5人の男声から突きぬけるようにソプラノの「平和を!という声が響きます。
シモンは皆を諫めてガブリエーレを捕え、次にパウロを告発。恐ろしい緊張に満ちた場面で、低い強烈な音が何度も印象的に響きます。この場面では、ピストン式のトロンボーンのトリルの音を含む全合奏が力いっぱい演奏されます。
「彼の上に呪いあれ!」と人々が声を揃えます。ここでもバスクラリネットの不気味な伴奏が響きます。シモンに真犯人を呪うよう命じられたパオロは、恐れおののきながら自らを呪います。
【第2幕】
ジェノヴァの宮殿の中にある総督の部屋。パオロはピエトロに、牢獄にいるガブリエーレとアンドレーアを引き立ててくるように命じ、モノローグを歌い出します。「わしは、わし自身を呪った!」
パオロはシモンを憎悪するあまり、彼の水に毒を盛ります。
フェスコ (バス)とパウロ(バス)の対話による二重唱「お前は残忍な顔つきをしている・・・」眠っている時にシモン殺害をフェスコにけしかけ拒絶されます。パウロは、次にガブリエーレに、アメーリアはシモンの愛人に弄ばれていると吹き込み、シモン殺害を唆します。一途で熱血漢のガブリエーレは激しい怒りをぶつけ「シモンを殺すのだ!」とわめきます。心の落ち着きを取り戻し、天使のようなアメーリアに思いをはせて、事情的旋律に変わります。
「我が心の炎は燃える・・・」
ここでは前半が急速な激しい調子_カバレッタ(Cabaletta)・きびきびとしたテンポのもとでドラマを進めるべく、後半は穏やかな 祈るような調子_カヴァティーナ(Cavatina)は抒情的なメロディの形で人物が内面を吐露するもので、人物が何かをはっきりと意識するさまが歌われます。
ようやくガブリエーレを取り戻し、長い二重唱になります。トランペットが鳴り、シモンが現れます。アメーリアは興奮するガブリエーレをバルコニーに隠します。
シモンとアメーリアの対話が始まります。
「話してくれ、汚れない心で・・・・・」
アメーリアは、ガブリエーレを愛していると告白。シモンに恋人の赦免を懇願する。その名が仇敵の反逆者であることを知って苦悶するシモン。
ひとりになって水差しの水を飲み、水を飲んだシモンの意識が薄らぎ、強い眠気に襲われます。不気味な緊張感を示す管弦楽のなか、第1幕のアメーリアとの二重唱の旋律がここで響き、シモンがアメーリアを思っていることが暗示されます。
ガブリエーレが眠ってといるシモンに襲いかかろうとすると、アメーリアが戻り、シモンが目を覚まします。ここでシモンがアメーリアは実の娘であることをガブリエーレが初めて知ります。
「貴方は彼女の父上!アメーリア許しておくれ・・・・」
感動的な三重唱が始まります。三人三様の思いが美しい調和をみせます。ここはヴェルディ独特の抒情的重唱。そこに激しい無伴奏の男性四部合唱が聞こえてきます。
シモンの反逆を企てたグエルフ党員たちです。シモンとガブリエーレは「戦いだ!」と叫ぶ。ガブリエーレは蜂起した貴族派の平定に向かいます。
【第3幕】
2幕の幕切れで聞こえた旋律がはっきりとした形をとって響きます。
「グローリア!」という歓喜の声で幕が開くと、ジェノヴァに平和の広場が見える。グエルフ党員は敗れ、平和が戻り、反乱に加わったパオロは捕えられます。遠くからアメーリアとガブリエーレの婚礼の合唱が聞こえます。パウロの仕掛けた毒が廻り、瀕死のシモンは海を懐かしみます。
海の風を感じながら、苦しい息の中で「慰めてくれ、海のそよ風よ・・・・」
と歌い出します。「なぜ海を捨てたのか。栄光の日々だったのに。」
フィエスコが訪れます。25年ぶりの再会、もう二人に憎悪は残っていなません。シモンはついに和解の日が来たと喜び、アメーリアこそフィエスコの孫娘であることを伝えます。

全幕のフィナーレ。感動的なバストバリトンの深い二重唱。プロローグの二重唱にも呼応した、全幕のクライマックスです。長年にもわたる確執を水に流して和解したのもつかの間、義理の息子であるシモンは、盛られた毒がまわり、死が迫っている。二人は手を取って涙にくれます。
シモンの意識が薄らいでいく中、様々な誤解が解けて和解の大団円へと向かいます。アメーリアがシモンの娘であることを知ったガブリエーレは、暗殺しようとしていたシモンに謝罪し、フィエスコもアメーリアが孫娘であることを知り、シモンと和解の二重唱を歌います。流れ出た溶岩の間にもまれて苦しそうなシモンではありますが、宿敵を許したことで愛する家族に惜しまれながら死に向かう姿からは、悲劇の中にも小さな幸せを見ることができます。
死の迫ったシモンのモノローグ「慰めてくれ、海のそよ風よ」に、アメーリアの「死なないで」という歌声が合わさり、感情を揺さぶられます。この作品のテーマである「対立」は「和解」に転じ、完結に向かいます。
最後に、アメーリアが、フェスコが実の祖父であることを知ります。
シモンは元老院の議員達に、ガブリエーレを後継者にと言い残して頼み、平和を祈って息絶えます。
そして、最後の最後に、あの不吉な逆さ火山が去り、黒い太陽が現れます。未だ心安らぐ平和の情景ではありませんが、シモンによる深い愛のおかげで壮大な和解を経験した次世代のガブリエーレとアメーリアがたたずんでいます。
感想
14世紀に実在した初代ジェノヴァ総督シモン・ボッカネグラを題材とし、平民派と貴族派の争いに、父娘や恋人の愛が入り組むドラマが力強い音楽で一気に展開します。フィエスコの沈痛なアリア「引き裂かれた父の心は」、アメーリアのロマンツァ「暁に星と海はほほえみ」、シモンとアメーリアの二重唱、ガブリエーレのアリア「わが心に炎が燃える」、シモンのモノローグ「慰めてくれ、海のそよ風よ」、そして緊迫した重唱や多彩な合唱と聴きどころも満載でした。元海賊で名総督となるシモン(バリトン)、貴族階級で厳格な性格の宿敵フィエスコ(バス)をはじめ、ヴェルディならではの男声低音キャラクターの魅力が凝縮された作品でした。

【音楽】
シモン・ボッカネグラを歌ったロベルト・フロンターレ(バリトン)は、明るめの瑞々しい声で、スタイリッシュに人物像を構築し、フェスことの二重唱は品格を失わず力強く、存在感がありました。アメーリア役のイリーナ・ルング(ソプラノ)は、低音から高音まで自然に響かせ、連続する2つの音を途切れさせずに滑らかに歌うレガートが特に美しく、ピアニシモまで制御して響かせ、アメーリアの清純さを伝えていました。その恋人のガブリエーレ・アドルフ(テノール)は、実直な性格に相応しく、輝かしい声がストレートに伸びて、重々しく、荘重を歌った高音の輝きは際立ち、その質感は歌の声の響きと調和して、恋人ふたりの声の響きは、恋人への愛情を感じさせていました。
物語の推進役で、シモンと敵対したのちに毒殺するパウロ役に、シモーネ・アルベルギーニ(バス・バリトン)は、少しドスの効いた声を響かせ、一筋縄ではいかない人物を感じさせていました。シモンの恋人・マリアの父・フェスコ役のリカッド・ザネッラートは、力強い声が多彩に響き、失った娘の悲痛さが自然体で伝わってきました。
シモンとアメーリアがお互いに父娘であることを知った場面の美しさ、シモンがアメーリア誘拐の真犯人であるパウロに、自らを呪わせる場面の金管が咆哮する全合奏など、音楽の暗めの色彩の中で、ヴェルディらしい力強い効果が出ていました。
第2幕から、音楽がダイナミックになり、アメーリアの告白、恋人ルドルフのアリア、アメーリアとルドルフの愛の二重唱はすばらしかったと思います。
クライマックスの民衆の合唱をバックに、シモンのアリア、男声3人の重唱は迫力がありました。
【演出】
演出は、長年オランダ国立オペラを率い、18年からはエクサン・プロヴァンス音楽祭総監督を務める、現代オペラ界屈指の演出家ピエール・オーディと、現代アートのアニッシュ・カプーアとのコラボレーションでした。
プロローグの舞台は、海洋国家ジェノヴァの船の帆を象徴する、床や天井から突き出す三角のモチーフで構成され、色は赤と黒が基調で、薄暗い照明の中に浮かび上がる舞台は物騒な雰囲気により、平民と貴族の対立が数々の悲劇を生んできたことを表現したかったのでしょうか。また、帆の三角モチーフは、元海賊の主人公シモンの出自をほのめかしているようでした。
ただ、舞台装置がなく,背景が黒一色で、アメーリア以外は、シモン、フェスコ、パウロ、ピエトロという主要キャストの4人がバリトンとバスで、みんな黒のスーツでは、初めてこの作品を観た私たちには、一瞬誰が誰だか解らなくなってしまうこともありました。
それでなくても、バスとバリトンが主体で音楽が重いところに、黒一色の単調な演出では、音楽に起伏が失われてしまったように感じました。更に、第1幕の後半で、歌手以外に黒い着ぐるみの大勢の犬が登場したのは意味不明で、不快感すら覚えました。
第2幕でも、演出は抽象的だったため、バス3人が主要キャストだったこともあり、シモンの存在感を薄めていたように感じました。アドルフは教皇派で、シモンとは敵同士だったことを明確にするため、制服の色か模様を変えるような工夫があっても良かったのではないでしょうか。
【シモン・ボッカネグラ】ロベルト・フロンターリ
【アメーリア(マリア・ボッカネグラ)】イリーナ・ルング
【ヤコポ・フィエスコ】リッカルド・ザネッラート
【ガブリエーレ・アドルノ】ルチアーノ・ガンチ
【パオロ・アルビアーニ】シモーネ・アルベルギーニ
【ピエトロ】須藤慎吾
【隊長】村上敏明
【侍女】鈴木涼子
【合唱指揮】冨平恭平
【指揮】大野和士
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
共同制作:フィンランド国立歌劇場、テアトロ・レアル
Co-production with FinnishNational Opera and Ballet, Teatro Real Madrid
参考文献
新国立劇場「シモン・ボッカネグラ」 新国立劇場 オペラ
新国立劇場HOME オペラ公演関連ニュース
【コラム】オペラ『シモン・ボッカネグラ』を知る(2023年)
美術展ナビ『シモン・ボッカネグラ』(2023年)
フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ他『シモン・ボッカネグラ』
イタリアオペラ出版(2001年)
ウィーン国立歌劇場『ボッカネグラ・プログラム』(2013年)
音楽之友社(編)『スタンダード・オペラ鑑賞ブック〈2〉』
イタリア・オペラ下 (1998年)
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お断りがなく、申し訳ありません。

私のブログへのコメントをいただき、ありがとうございます。
私desire様のブログを読ませていただきました。
「シモン・ボッカネグラ」はヴェルディのオペラの中でも屈指の深みのあるオペラですね。
今回の新国立劇場の上演は、私たちにそのことをよくわからせてくれました。
歌手も演出も指揮も本当に高度なプロフェッショナルだったと思います。
ご指摘のように、「シモン・ボッカネグラ」はヴェルディのオペラの中でも深みのあるオペラだと思いました。
現代演出で。抽象的な演出でしたので、屈曲のある内容が強調され、アリアの美しさが解りにくかったように感じました。
古典的な演出のメトロポリタンオペラで鑑賞すると、また違った感動を得られるような気がしました。